寄り道するのが嫌いだった小学生
こんばんは。ゆるりママです。
前回の投稿に「毎日投稿中🌱」と書いたのに、書いたそばから連続投稿が途絶えてしまいました…💦
気を取り直して今日は、わたしの小学生時代の話🌻
何を隠そう、「寄り道するのが嫌いだった小学生」は、わたしのことです。
小学生の頃のゆるりママ
話すことがなかった
たぶん、あまり他人に興味がないタイプなのだと思う。「友達と何を話したらいいか分からない」と思っていた小学生時代。
聞きたいこともないし、自分のことを話したら自慢みたいになりそうだから、、とクラスメイトともあまりお喋りしなかった。
休み時間が苦痛だった
友達と何を話したら良いか分からないわたしだったので、休み時間に一緒に遊ぶ「特定の友達」もいなかった。昼休みや業間休み(ロングタイムと呼ばれていた)が苦痛だった。
一人で図書館をふらふらしたり、昼休みに当番が回ってくる保健委員に積極的に立候補したりしたなぁ。
寄り道するのが嫌だった
下校は毎日集団下校だったわけではないと記憶しているけど、たいてい同じ方面の友達とまとまって帰っていた。
下校ルートには、ちょうど土手になっていて、滑り台のように滑り降りたりして遊べる、楽しい場所がある。「寄り道しないで帰るように!」と先生には言われるのに、みんな100%寄り道をしていた。
わたしは、その寄り道が楽しいと思えなかった。ルールを守らないのも嫌だった。でも、毎回断るのも上手くできなかった。
…だから、しばらく遊ぶ様子を見てから、サッと消えるように一人で家に帰っていた。
学校には通ってた
学校という場所は、特段好きではなかった。
みんなそうだと思っていた。
でも中学生になった時に、「わたし学校大好きだよ!友達と遊べて楽しいから✨」と、満面の笑みで話してくれる友達がいて驚いた。
そうか、学校が楽しい人もいるんだ…!
そんなわたしだったけれど、体調不良時以外は学校に行っていた。母は専業主婦だったけれど、簡単に休ませてくれる家庭ではなかったし、「行かなきゃいけない」と真面目に考えていた。
勉強は得意だった(たぶん)
たぶん勉強は得意だった。
ごくごく普通の、田舎の公立小学校に通っていたのだけれど、先生の教えてくれることは、だいたい理解できた。テストは90〜100点だった。
印象的なのは、社会の授業だ。地図帳の索引から地図上の位置を探す競争(例えば、東京はp.30のA-3だったら該当するページの「東京」を探す)があった。今やなんの得にもならないが、どの地点でも、誰よりも早く探し出すことができたことを覚えてる。
まとめ
こうやって書いていくと、今の時代だったら「問題を抱えた子」だったのだと思う。
療育の対象だったかも知れない。けれど当時は、わたしの住む村には療育の施設はなかった。特別支援級もなかったので、わたしも普通級に通っていた。もっと支援が受けられたら、もっと素敵な大人になれたのかな、なんて。
それでも成長とともに、少しずつ他者と交流が持てるようになっていきました。