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断章 「お前らしくないぞ……コツン」


 沙羅は、抱き心地が抜群というわけではないが、いい女だ。

 事前も事後もさっぱりしているのが美点だ。それでいて、服を着ている時とは違う、可愛いことも言う。

 セックスをコミュニケーションと見なしているタイプであり、エンジョイしている様子はないが、それは資質の話だろう。心がやっかいな化学変化を起こすことのない分、都合のいい女と言えるのかもしれない。

 触り心地が少し固くとも、巨乳というのはいいものだ。その谷間に顔をうずめながら、東雲は半ばうとうとしていた。柔らかい乳房とは違い、首を預けられる安定感がある。

「───♪ ───♪ ───……♪」

 子守歌つきだ。そういえば今日は、最中もサービスが良かった。

 感傷的なところのある女だから、東雲が傷心だとでも思っているのかもしれない。まあ、思わせておいてもいいだろう。優しくされるのはまんざらでもない。

「Love───Ice cream───
 Kind───Chocolate───lily───Candy───」
「なんていう歌ですか、それ」
「知らない。私の養父が、子どもの頃に歌ってくれた歌だ。歌詞は日本語だったのだが、ほとんど忘れてしまったから、適当な言葉を当てはめている」
「歌詞、オリジナルなんですか? 作詞のセンス可愛すぎでしょ」

 褒めたつもりだったが、背中をぽかぽかと叩かれた。

「どうせ、私には似合わない。万羽がやっていて……可愛いと思って真似したのだが」
「別に誰かの真似しなくても、沙羅さんは可愛いですよ」
「私も自分が醜いとは思っていないが、可愛らしくはないだろう。偏屈だし、それに愛想がない。身体も……華奢ではないし」
「そうっすか?」

 沙羅の自己評価はところどころ不当に低い。この女のことをよく知らない男が適当に言ったことを、どうも真に受けているような気がする。体つきは確かに華奢ではないし、愛想を振りまく方でもないが、偏屈ではないだろう。話せば素直だし柔軟性もある。教養があるのに、そうでない相手にも寛容で、頼めば丁寧に話してくれる。

 性格を良し悪しで判定すれば、間違いなく良いはずだ。ただ、この女の善良さを汲み取ることのできない者もいよう。高飛車な物腰に反して献身的だから、見下されていると感じる者もいるかもしれない。

 沙羅は東雲の頭をそっと退けると、よいしょと言いながら身体を起こした。

「今日は雨が降るらしい。雨戸を閉めてくる」
「さっき閉めときましたよ、来る時に」
「本当に? ありがとう」

 目を丸くしている。そのくらい言われなくてもするし、言われたら確実にしてやるのに、この妹弟子はあまり頼みごとをしてこない。

 自立的であり、周りを見くびっているのだろう。少し額をコツンとやられた方がいいと思うが、師はそういったことをしないタイプである。「お前、頑張りすぎだぞ」などと臭いドラマのようなことも言うまい。

 ───俺がやるべきか?

 拳を軽く握るまではしてみたが、コツンとやる気にはならなかった。万が一、それで惚れられたら面倒だと思ったのだ。

 寝たくらいではそうならない女だが、変なところにツボを持つのだ。義理堅く情の厚い女だと知っているからこそ、あまり刺激したくない。

 煙草を咥えて火を点ける。喫煙と沈黙を許してくれるのも、沙羅のいいところだ。

「可愛い女にコンプレックスあるんすか? たまにそういうこと言ってますけど」
「それは、ある。私が男に好かれない理由というのは、そこにあると思うから」
「自信があるんだかないんだかわかんねえ女だな。可愛さ以外は全部あるんすか?」
「ええっ!? そんな意地悪なことを言うとは。それは……私は確かに欠点の多い女だが、けっこうその、顔立ちは悪くないと思うし……その……うわーん」

 しょぼくれてしまった。

 頭を撫でてやる。

「すみません。他の男のこと匂わされたから、ちょっとムッとしました。あなたは可愛いっすよ」
「んもう!」
「ハッ、可愛い可愛い。なんつうか、なんだろうな? ホント。あなたが俺のこと本気で取りに来てくれたら、克己様から乗り換えることも考えるかもしんねえけど」
「ふうん、そんな嘘をつくのか」
「嘘?」

 性質たちの軽薄な東雲としては、めずらしく心を裸にしたつもりだった。

「嘘ねえ。俺、嘘ついたのかな」
「お師さまのことを愛しているくせに」
「愛してんの? 俺は克己様のことを」
「そう言っていた」
「言ったっけ?」

 とぼけているわけではなく、自分はそんなことを言わないという自信があった。愛などという、背中が痒くなることは口に出さないはずだ。無い袖は振れないとも言う。

 沙羅はなぜか頬を赤らめた。

「前に……お師さまの部屋で言っていた。けっこうその、クライマックスの場面だったと思う」
「うわ、見んなよ」
「見ていない! 聞こえたのだ。何回も言っていて、お前もそんなことを言うのだなと思ったから、妙に覚えているのだ」
「クライマックスだったんなら言ったかもしんねえけど、その時の男って何も考えてませんよ。うわ言みたいなもんですよ。あなたもわかってるでしょ、生娘じゃねえんだから」
「私には言わないだろう」
「そりゃ言わないでしょ。兄弟子が急に愛とか好きとか永遠を誓うとか言い出したら、情緒不安定なやべえ男だと思うでしょうよ」
「誓ってほしいのに」

 東雲の煙草を取り上げて、沙羅は顔を近付けてきた。

「減るのか? 妹弟子わたしに愛を誓うと。それはなんだか不快だ。私はこれでもかなり、お前との時間を良いものにしようとしている。努力もしているつもりだ。他の男には……ああいうことをしないし」
「へー」

 感心して、そうだったのかという意味の声を発したのだが、沙羅はむくれた。

「柳に風だな。私の愛など要らないか」
「え、愛の話続いてたんだ。セックスのテクニックの話かと思った」
「そこを私は連動させているつもりだという話だ」

 東雲の携帯灰皿の蓋を勝手に開けて吸殻を入れている。批難しようと思ったが、口をキスで塞がれた。しばし柔らかさを堪能する。

「かわいっすね、今日」
「お前は私にあまり興奮しない……」
「してますよ。言っていいんですか? 俺の知ってる女の中で、このオッパイが一番エロい。今日はちょっと疲れてんなと思ってても、このオッパイ見るとやる気になっちゃうんですよね」

 多少リップサービスを入れてはいるが、おおむね事実だ。沙羅は顔立ちが中性的なのと、腰つきがしっかりしているのとも併せて、若干危ない魅力がある。東雲はニューハーフを抱いたことがない───たぶん───が、行けるのではないかという気になる。

「愛してるみたいなこと言ったほうがいいんですか?」
「そのほうが盛り上がると思う」
「それは違いねえな。でも、盛り上がりたかったんですか? そういうの嫌なのかと思ってた。いつも澄ましてんじゃん」
「それは……上手くできないだけだ。お師さまもあまり声を出さないのではないか」
「あの方はボディで全部表現するんで、そうっすね。下の口がすげえ声出すんですよ」
「うわっ、そんな下卑たことを言うとは」
「下卑が俺の持ち味でしょ。あなたの前では気ぃ使って大人しくしてますけど、もうちょい喋りましょうか?」

 沙羅は乙女のように両手で頬をおさえたが、「うーん……」と意外に乗り気でない声を漏らした。

「あまり意地悪を言われるのは嫌だ。集中できなくなるし」
「俺そんなの言ったことあります? 他の男にそうされて嫌だったって話? じゃあ言わねえけど」
「うーん」

 どうしたいかわからないというように、沙羅は首をかしげた。そのまま布団に寝そべり、肘をついて可愛いポーズをしている。

「かわいこぶってんの?」
「そうだ、可愛く見える姿を研究している。私は思うのだが───」

 隣に寝ろというジェスチャーをされたので、そうした。

「身体を重ねるだけのことで、身体を重ねたという実績ができるのだから、男と女というのはわかりやすい」
「男と男でもセックスくらいできますよ。克己様は上手いっすよ」
「ああ、そうなのだろうが……」

 話の腰を折られたわりには、目が輝いている。

「お師さまはやっぱり上手いのか」
「あなたが言ってんのはこう、都合のいい機能があるってことでしょう。都合の悪さを忘れるくらいの腕前っすね。やだなあと思ってても、あれよあれよっつうか」
「嫌なのか? 喜んで応じていると思っていた」
「まあね」

 師に感じる恐怖のことを話す気はないので、適当に流しておいた。沙羅はぽわんと夢見るような顔をしている。

「ステディな相手がいるというのは憧れる。決めた相手と抱き合っていれば、愛……愛は違うとしても、寄り添っていけるのだろう。羨ましい」
「セフレに憧れてんの?」
「夫婦のふりに憧れているのだ。師と兄弟子は、私を抜きにして睦んでいるから、あぶれてしまって寂しい」

 こう言われると、黙って髪を撫でるしかねえなと思った。まんざら的外れな空想でもない。東雲と師の間にはそれなりの信頼関係があり、それは確かに日頃の行為で培われている。

 その行為があまりにも粘ついているから、この妹弟子を混ぜる想像をしたことはない。東雲は精神が下卑であるから、どんな猥褻な目に遭ったところで失う誇りもないが、沙羅からは損なわれるものが多い気がする。

「俺も克己様も、あなたのこと大事なんですけどね」
「そうかな……」
「え? そのレベルでわかってないんですか?」
「年下の女として、なんとなく可愛いような気がするだけではないか? 個としての私は関係なく、女だから優しくして、たまに寝て機嫌を取ってやろうと思っているだけだろう」

 沙羅はいつも切れ味が鋭い。そうだとして、それの何が悪りーんだよと喉まで出てきた。しかし、それが悪いとは沙羅も言っていないのだ。寂しいだけだろう。

 さて、なんと言ったものかと考えていると、妹弟子は小さくため息をついた。

「もう嫌だというほど男に抱かれてみたいものだ。いいなあ」
「え? セックスの満足度の話だったの? すみませんね、そこまで持って行ってやれなくて。へこむわ、今抱いた女にそれ言われんの」
「すまない。お前に不満があるというわけではなくて……」
「いや、それは俺に不満があるんですよ」

 それが真実だと思う。要するに欲求不満なのだ。

「そんなにつまんないっすか? 頑張ってるつもりなんだけどなあ。道具とか使いますか? いっすよ、変なことしたいんなら付き合いますよ」
「いや、別に……変なことをしたいわけではない。しているのか? お師さまと、変なことを」
「改めてそう聞かれると、あんまりしてないっすね。ウチの師は性欲が絶倫なだけで、変態ってワケじゃねえんだな、考えてみると」

 沙羅はすぐ隣にいるのに、内緒話のしぐさを作って声をひそめた。

「神無のところは大変らしいな……」
「らしいっすね。ときどき聞こえてくる声もヤベェよな」
「でも、神無の従者は心酔しているのだろう。とても良いのかもしれない」
「そこは因果関係が反対じゃねえ? もともと心酔してるから、あのレベルのプレイにも耐えられるんだと思いますよ。斎観さんたまにこう、首に絞められた跡つけてるもん。メチャクチャ相手を信頼してないと、首はムリだろ」
「く、首か。それは怖いな。そのくらい神無のことを愛しているのかな」
「やってみたら楽しいのかもしんないっすけどね。あんま刺激が強いことすんの怖いな。戻れなくなりそうだし」
「私は───」

 小さな声で沙羅がつぶやく。

「男がそういうことをしたいと言ったら、聞いてしまうかもしれない」
「沙羅さんそういうとこあるよな。やめなさいよ、変な男に尽くすの。いい女なんだから」
「でも、夢中になれるセックスでしか得られない楽しさがあるだろう」

 それは、ある。師はそれを日々得ているし、ともなって東雲も得ていた。確かにあの感覚は、他のことでは代替できない。

 しかし、たかだかセックスの話ではある。沙羅がわざわざ目指す場所ではないだろう。

「お茶とかお琴とかやってたでしょう。そっちの方面で楽しくなる方がいいんじゃないっすか。せっかくそういう才能があるんだから」
「才などない。ずるい! 自分はいやらしいことを楽しんでいるのに、私のことは弾こうとして」
「堕落の面があるんですよ、こっちの道は。あなたが男に溺れるのとか嫌だし」
「身勝手だ」

 可愛いポーズをやめて、沙羅は肘をついて目を閉じている。アンニュイというよりは不機嫌そうで、だりいなあと東雲は思った。沙羅は素直だが、論理立てたことを言わなければ気分を変えることのできない女だ。東雲の手には余る。

「ため息をついたな。面倒な女だと思っているのだろう」
「思ってます」
「すまないな」

 沙羅は起き上がると、てきぱきと下着を身に着けはじめた。

「面倒なことを言う気はなかったのだ。どうも天気が悪いと私はこうなる。茶でも飲まないか? 酒のほうがいいか」
「今廊下に出ない方がいいっすよ」
「なぜ?」
「男と寝たばっかの女って、なんとなく雰囲気でわかるんですよ」
「別に構わない。事実だし」

 乱れた髪を鏡も見ずに結い直して、沙羅は薄いワンピースを羽織った。サイズがあまり合っておらず、胸のあたりが窮屈そうだ。

「行くなって。ちょっとくらい俺の言うことも聞けよ」
「何の真似だ?」
「想像上の恋愛ドラマの主演の真似です。まあマジで、ちょっとゆっくりしましょうよ。喉乾いたんなら俺がなんか持ってくるし」

 沙羅は無言で近付いてくると、東雲の頭をつかみ、ぶちゅっとキスをしてきた。

「何?」
「お前はお師さまとそういうことをして、毎日疲れているのだから、私といる時くらいは休め。頑張りすぎだ」
「そう来たか」

 自分が言われる側になるとは思わなかった。それもどうやら、何かの真似ではなく、心から発された言葉らしい。

 馬鹿馬鹿しいところもあるが、可愛い女だ。この性格が魅惑的なボディに付属しているのだから、ステディな男などいくらでも作れそうなものだが、沙羅の評判は確かにあまり芳しくはない。取っ付きづらさのためだろう。

 沙羅はそのことを気にしているらしいが、くだらぬことを考えるなと言ってやりたい。世界に一つだけの花という言葉があるだろう。

 思うだけだ。言うと何かが変わってしまう可能性がある。

 意志の強い妹弟子は、部屋を出て行った。おいおいと思うが、まあ、いいかとも思う。飲み物を用意してくれると言うのだから、厚意に甘えよう。

 女の匂いのする枕に顔をうずめると、眠気を感じた。低気圧のせいだろうか。

 ───そういえば最近、頭が痛くならねえな。

 師の力なのだろうか。案外、妹弟子の力なのかもしれないと考えながら、東雲は眠りに落ちた。


→余談 ブランチ「当たってると言ってやってんのよ♡」

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