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彼の処理した糸/あとがき


『蜂の残した針』 完結

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 ロープで崖を下り、ノコギリで藪を切り拓いて、男はそれを見つけた。

 どういう落ち方をしたのか、フロントガラスに蜘蛛の巣のようなヒビが入り、バンパーが凹んでいるだけで、あとは綺麗なものだった。この様子だと、落ちてからもしばらく走行したのかもしれない。

 ドアには鍵がかかっていた。窓から見える座席シートは無人で、ガラスの破片ひとつ落ちていない。血の痕なども無かった。

 男は身を屈めて、車の周囲を観察する。特に運転席の間近、草の踏まれた形跡を目で追った。今、自分が踏んだものか? 大地の養分をたっぷりと吸い上げた草は青々と茂り、日が経てば跡を隠すだろう。

 空を見上げる。周辺は木が覆い茂っており、方向感覚が狂う。しかし、太陽の位置くらいはわかるから、地図と併せればおおよその現在地は把握できる。

「戻らないことにしたんだな、お前は」

 道か、車か。細工に気付いたのだろうか。それとも、純然たる事故か。三百年の間、一度も起こさなかったからといって、未来も起こさないという保証はない。彼の娘でさえも、その保証人にはなれないのだと聞いたことがある。

「水くさいな」

 男は来た道を戻ろうと思った。ロープで上がり、考えるのはその後だ。

 二百年、忘れたふりをしていた。自分も相手も、もう幕を下ろす頃だろう。その前に少しくらいは、ともに歩くことを試してみてもいいのではないか。

 男は楽観的だ。話せば向こうも賛成するだろうと考えて、ひとまずは一人で歩き出した。





あとがき


「ゆるおに」無印が開始した2009年から、14年に及ぶ活動を見守ってくださったみなさまに感謝を申し上げます。


↓ 1%のための毒/1%から増えることはない/今度の活動/おまけ/

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