蝶のように舞えない 6話
姉は昔から、キャラメルのような匂いがする。
香水か、化粧品か、あるいは洗剤なのかもしれない。和風の大柄な女であるから、似合っているとは言いがたい香りだ。
要らぬことを言うと小突かれるから、口に出したことはないが。
「あら」
頭に触れられたと思うと、軽い痛みが走った。
「いて。何?」
「白髪があったから、抜いてあげたわ」
「マジかよ」
自分たちにも白髪など生えるのか。西帝は軽い衝撃を受ける。
「俺に白髪があるってことは、姉さんにもあるの?」
「さあ? ないと思うわよ」
くすくすと笑われて、少し悔しい。西帝は見ることができないのだから、鏡でも見て確認してから言ってほしいものだ。
「フェアじゃないよな。本当に白髪なんてあるのか、俺にはわかんないわけだし」
「なによ、抜いてあげたのに失礼ね。そんなウソつかないわよ」
姉の声は、女にしては低いが、硬質な艶のあるきれいな声だ。
父や兄も、演歌歌手のような無闇に渋い声をしている。喉が丈夫な血筋なのだろう。
姉はすぐそばの長椅子に腰掛けて、雑誌を読んでいるようだった。紙をめくる小さな音が聞こえる。
兄ならば、西帝に一声をかけるところだ。自分がどこにいて、何をするか、常に言葉で伝えてくれる。大人の男である西帝に対し、あれはやや過保護だとも思うが。
「今日って何曜日だっけ」
「Siriに聞きなさいよ」
「そこまで突き放すのもどうなの? 俺のスマホはAndroidだし」
仕方なくGoogleに話しかけ、『火曜日です』という回答を得た。
それにしても、この機能はつくづく便利だ。目を悪くしてから、携帯電話を探しては周りのものを手でなぎ倒していたが、AIアシスタントの搭載以降、呼びかければ場所がわかるようになった。調べ物もひとりで行える。
視覚障害者のためのソフトやアプリも、安価で便利なものが数多くある。二十年前ならばこうは行くまい。
この屋敷には懐古主義者もいるが、西帝にとっては、文明の利器さまさまである。トイレも水洗でなければ嫌だ。
「コーヒーでも飲もうかな。姉さんもいる?」
「なあに? 嫌味ったらしい。淹れてほしいならそう言いなさいよ」
「え? いや、コーヒーくらいは淹れられるよ」
兄とのツーカー会話に慣れているため、姉の刺々しさに戸惑う。
姉は雑誌を床に投げ出したようだった。
「火傷でもされたらあたしの責任じゃない。狭野にネチネチ言われるのは嫌よ。砂糖とミルクは? カップはどれを使うの?」
「いや、なんとなく淹れて飲もうかなと思っただけだから、わざわざいいよ」
「そうなの?」
ストレートなだけであり、性格の悪い女というわけでもない。
と西帝は思っているが、兄は「そんなことねえ。すごく悪い」と言い張っている。馬が合わないのだろう。
「姉さん、明日はどこにも行かないよね?」
「特に決めてはいないけど。なに?」
「なにじゃないよ。秋の水曜は気をつけてくれって言ってるだろ」
「あんた毎年それ言ってるけど、秋って、何月何日から何月何日までよ」
「わかったら苦労しないんだよ。俺が秋っぽいなと感じる期間だよ。これでも曜日まで絞り込んでるんだから、かなり優秀な占い師だろ」
ふうんと言いながら、姉は長椅子に寝転んだらしい。
「凶事については真面目に聞いてくれよ」
「北枕くらいには気にしてるわよ」
「頭寒足熱って言うし、本当は北枕のほうがいいらしいよ。じゃなくて、それ気にしてないのと同義だろ」
「だって、たいして当たらないじゃない」
「それ言われると弱いけど、去年の台風が何月何日に来たかなんて覚えてないだろ。前髪を切るのに失敗した季節も忘れる。コーヒーを服にこぼしたのが3年前か4年前かなんて、記憶してるはずない」
「嫌ぁね。喋り方まで神無に似てきたみたい」
「こんな喋り方だったか? 無口だったろ」
カチリと小さな音がした。ライターの着火音。
「喫煙登録してないんだから、俺の部屋で吸うなって」
「火事なんか起こしやしないわよ。燃えたとしたって、あんたのことは逃がしてあげるから大丈夫」
妙に胸に響くことを唐突に言う。兄と姉に似た部分があるとすれば、唯一こういうところだ。
情が深いということもあるのだろうが、あまり照れがないのだ。海外の映画では、親子や兄弟がアイラブユーと言い合っている。あの乗りが、なぜか兄と姉にはある。
西帝が目を悪くしたせいかと考えたこともあるが、その前からこうだったように思う。生まれつきの性格なのだろう。
自分は照れてしまう。だから照れ隠しも言う。
「俺が死ぬより、部屋が燃えるほうが大ごとなんだよ。吸うなら喫煙室に行ってくれって」
「誰が文句を言うっていうのよ? 刹那だってあたしを叱れやしないわ。沙羅の小言なんか無視しなさい。典雅にだけ愛想よくしときゃいいのよ」
煙の匂いが流れてくる。姉は、それは優雅に煙草を吸うのだ。今では見えなくなってしまったが、この匂いを嗅ぐと、洋画の女優のようにゆっくりと煙を吐き出す、あの姿が再生される。
「姉さんは、親父の次の覇権は典雅様だと思ってるの?」
「あたしが思ってるっていうか、現実的に考えるとそうでしょ。克己は執政権を放棄するでしょうし」
「典雅様はしない?」
「子供たちのことを考えたら、できないでしょ。典雅の収入で食べさせるしかないんだから。自立してない子供がいると大変よね」
「俺たちの言うことじゃないだろ。執政手当てって、実際のところいくらなんだっけ?」
「公的には年間三百万だけど、帳簿を改竄する権利も手当てのうちだから。刹那は真面目に運用してるけど、典雅の代で傾くんじゃないかしら。駐車場くらいもらっておきたいわね」
長老というポジションは、多くの場合はお飾りだ。ほとんどは信頼する側近に執政や資産運用を任せ、承認の判だけをつくという気楽な立場である。
刹那は側近を置かず、すべてを自身で切り盛りしていたという稀な長だ。孫娘や若い者に手伝いこそさせても、特別な権利は与えていない。
事務屋上がりの強みだと、白鷺が言っていた。幹部時代に得た人脈やノウハウを、引き続き利用して、円滑な執政を行っていた。
その有能かつ便利な長老に、業を煮やしたのが西帝らの父である。
現行のシステムでは、財政運営能力を持つ者が長老に君臨してしまうと、それ以下の者は木偶となる。序列二位に迫っていても、目の上のこぶによって、得られる権利は多くはない。
だから削いだ。長老の優秀さを。
西帝は父の執政能力を知らないが、刹那ほどに高いわけはないと思っている。
強い政治的ビジョンがあるとも思えない。資産を横領することが目的であろう。
悪の者である。
その父に個室を斡旋してもらっているのだから、西帝も悪の一員だ。
「兄貴、今日中に帰ってくるんだろ?」
「どこかに行ってるの?」
「え、知らないけど、だから姉さんが来てくれたんじゃないの?」
西帝は先日から、少し強い薬を飲んでいる。それが効いている間は、ひとりだと危ないということで、兄がそばにいることになっていた。今日は姉が来たということは、兄は用事でもあるのだろう。
「なあに、一日でも兄がいないと寂しいっていうの?」
「秋の水曜じゃなきゃ、何日いなくても気にしないよ。まあ別に、俺が寂しがってるとか言ってもいいから、今日は帰るように伝えてよ」
「そんなこと自分で伝えなさいよ」
「俺のことをまったく障害者だと思ってないよな。わかりましたよ。自分で伝えるよ」
再びAIアシスタントを音声で起動し、「火曜のうちに帰ってくれ」と兄にメッセージを送信する。
「お父さんが危篤だと思うんじゃないの? その言い方だと」
「親父の危篤くらいで、すぐ帰れないんて言わないよ。兄貴もわかってるだろ」
ばつんと額に痛みが走る。キャラメルと煙草の匂い。姉のデコピンは容赦がない。
「俺の目が悪いのを利用して、そっと近付いてきて一撃って、倫理的にどうなんだよ」
「目が悪くなくたって、一撃食らわせてるわよ。薬が効いててもこれは痛いの?」
「痛い。そういえば髪を抜かれるのも痛かったし、鎮痛薬の仕組みって不思議だな」
ふうんと言いながら、姉は部屋を出て行こうとしている。
「どこ行くの?」
「コーヒー淹れてきてあげる。あたしも飲みたくなったから」
それが姉の奔放さなのか、優しさというものなのか、西帝は少し考える。
身体を起こしてあたりを見回している男が、時計を探していると察して、和泉は横たわったまま左腕を持ち上げて見せた。
「2時過ぎですよ」
「しまった。もう水曜か」
「ご用事がありましたか?」
男は和泉を見下ろし、すぐに目を逸らした。
「いえ。すみません」
「構いませんよ。お忙しいのでしたら、お帰りになっても」
「用があるというわけじゃないんですが」
ぼそぼそと言って、大きな背中を丸めている。
運動をしないというわりには、無駄のない身体だ。あまり脂肪がつかない体質なのだろう。筋肉もそれほど厚いわけではないが、骨格が立派なため、逞しく見える。
手足の長さにおいて、和泉に不釣り合いを感じさせない男は、日本人には珍しい。
総じて、女に好かれるタイプの容姿と言える。慣れていないふりをしていたが、力加減やタイミングは誤魔化せない。やり手の部類だろう。
余計な世話を焼いたかもしれない。髪をかき上げながら、和泉も身体を起こした。
「少しはあなたの気が晴れるかと思ったのですが、そんなこともありませんか」
「え」
なぜか怯えるように和泉を振り向いた。
「まさか、慰めてくださったんですか?」
「いけませんでしたか」
「……びっくりしただけです。慈母なんですか」
「ちょうど私もしたかったので。ありがとうございました」
男は幽霊でも見るような顔をしている。
はて、と和泉は考えた。この男は色舞と違い、それほど若くもないはずだが。
もしかすると、和泉を寂しい女だと思い、本意ではないのに応じてくれたのだろうか。それならば悪いことをしてしまった。
「ごめんなさい」
男の手首にそっと触れる。
「嫌だったんですね。謝罪します」
「え、まさか。嫌な男なんていないでしょう。真っ白で素晴らしかったです。日本人っていうのは、やっぱり黄色いんですね。今までそんな風に思ったことはないんですが」
「そうですか」
「ああ、こういうの駄目ですね。すみません。ただ、綺麗だったと」
案外、寝た女には優しくするタイプであるらしい。そのわりには目を合わせようとしないが。
ネガティブな効果をもたらしていないのならばよい。ベッドから出て、手早く服を着た。風呂は1時に湯を抜くことになっているが、シャワーはいつでも利用できる。
シャワールームの増設を、少し強く長老に求めるべきだろう。身体を見られたくないという者もいる。性別による入浴制限を時間帯によって設けてはいるが、あまり意味があるとも思えない。以前に進言したときは、「そこまで嫌なら男姿で入りゃいいだろう」という、何もかもわかっていないコメントを述べていた。
他者との入浴を嫌うのは女ばかりではない。気にするのは男の視線ばかりではない。肉体の性別の問題ではない。生まれ性別と異なる姿を作るのは容易なことではない。
性器の――それにともなう肉体の――可変は、生殖のためのシステムだ。和泉は生物のデザイナーではないが、それは間違いないだろう。
女に生まれついて、男の肉体で暮らす者は多くはない。その理屈を明かすことは、きっと未来もかなわないのだろうが、誰かが言っていた。「子作りのための能力を常に発揮するのは嫌だ。勃起して外を歩くようなものだ」と。
それを聞いた誰かが、「じゃあ生まれつきの男は精子袋かよ」と言っていたのも覚えている。
タイトスカートのファスナーを上げながら、和泉は考える。自分の身体は女の形をしている。子宮と卵巣も備わっている。だが、排卵は行われない。内臓のすきまを埋めるために、形ばかり配置されているだけのパーツだ。
懐孕能力はない。だが、出産能力はどうだろうか。
つまり、代理母としての性能だ。体外受精で作った受精卵を、この子宮に入れてみた場合、それは胎児として育つのだろうか。
実際に試すことはできない。いくつもの掟に触れている。自分たちの子供は肉を食らって産まれるから、もし仮に、祖先をも恐れぬその思い付きを試すとしても、入れるのは自分たちの血を引いていない、食物連鎖で下位の動物の胎児となる。
和泉の首を三回切っても足りぬ、法と倫理への重大な違背だ。考えるだけでも、おそらく処罰の対象となる。
ヒトにブタを産ませるようなものだ。猟奇的である。意味もない。
「あの」
呼ばれて振り返ると、男も服を着終えていた。
ベッドに腰掛けて、顔を片手で覆っている。
「あの、先生」
「誰にも言いませんよ。もちろん」
「あ、いえ、そうじゃなくて、大丈夫ですか。怪我とか」
そういえば少し出血していたが、わざわざ言うほどのことでもないだろう。
「大丈夫ですよ。そういえば先日、西帝さんがいらしたのですが、ご存知ですか」
「え。はい、そうするように言いました。来たんならよかったです」
「頭痛はたぶん、眼精疲労だと思います。少しならば見える分だけ、目を無理に使おうとしてしまうんですね。まぶたを閉じて休めたり、できれば睡眠時間を長くしたり、そうしてみて変わらなければ、またいらっしゃるようにとお伝えしました」
「なるほど。気をつけてみます」
「いいえ、お兄さんはあまりお気になさらないでください。西帝さんも、目の使い方まで注意されると、ストレスを感じてしまうでしょうし」
西帝の兄は、しばらくぶりに和泉の目を見た。
「過保護でしょうか? 姉にもそう言われます」
「優しいご家族がいらして、西帝さんはお幸せだと思います。ですが」
名前を呼ぼうとしたが、思い出せなかった。
「あなたがあまり心配なさると、西帝さんも気負ってしまうかもしれません。いつか治るという類のことではないので、気に掛けるよりも、慣れて差し上げるほうがいいかと思いますよ」
「治らないことはわかっているんですが」
危うい目をしているなと思う。共依存の傾向性があるのかもしれない。幸い、西帝にはほとんど無いようであるから、今のところは深みに行く様子はないが――
夫婦や親子、兄弟の共依存は、美談に見えてしまうところが危ない。この屋敷においては、師弟関係も台頭してくる。
「従者はお持ちでしたか」
「俺ですか? いいえ」
「では、今もどなたかに師事をなさって?」
「いえ、師は亡くなりました。若い頃に少しだけお世話になってましたが」
つまり、日常が血縁だけで完結してしまうということである。
西帝や典雅のように、元からバランスの取れた性格の持ち主であれば、それも悪いことではない。
この男や色舞のような、あまり外向きではないタイプは、どこかでガス抜きをしたほうがよい。悪くなれば周りを巻き込むこともある。
運動をしないと決めている者は、医師がどう勧めようともしないものだ。和泉にできることは限られる。
男に近付いた。そっとあごに触れ、頬を撫で、耳をなぞる。目を背けたということは、キスをしたくないのだろう。
「すみませんでした。他に息抜きをさせて差し上げる方法を知らないので」
「それは、先生、大丈夫なんですか」
「私が? そうですね、大丈夫だと思っていますが、どうでしょうか」
誰しも、自分は大丈夫だと思っているものだ。大丈夫ではなくなる、その瞬間まで。
男は和泉の肩を抱こうとして、やめたようだった。
「先生は、西帝の予言のことをご存知ですか」
「ときどきお若い方が噂されていますね。占いですか」
「占いというか、俺もよくわかってはいないんですが……」
和泉が詳しくないのならば、語る気はないという様子だった。
隣に腰掛けた。肩を寄せる。
「聞かせてください。長老が嗜まれているような占星術ですか? それとも、人相や手相のような?」
「そういうものとは違うそうですが」
「神秘の力ですか? そういったものは、深追いすると当たらなくなってしまうと言いますね」
男は肯定も否定もせず、低い声で言った。
「千里眼というのはあるんでしょうか」
「御船千鶴子のような? どうでしょう。いまだ科学による解明の及ばないことは、たくさん残っていますが――」
箱の中身を透視するくらいのことならば、できる者もいるだろうと和泉は考えている。赤外線はヒトの目には見えないが、ある種のヘビならば感知できる。動物が持ちうる力ならば、遺伝子構成のズレなどで、別の種に顕現することもあるだろう。
ただし、千里離れた地のことを言い当てる力となると、話は違う。
違うような気がする、というだけかもしれないが。
電話やテレビやインターネットは、千里眼と同じ働きをするものだが、そうした媒体と同じ力が、動物に備わるかという話だろう。
たとえばカナリアが、ヒトよりも早く毒ガスを検知したとき、それを予知と呼ぶ者はいない。だが、カナリアのかごを隠したヒトの警告ならばどうか。
身の上話を聞くことで、当人よりも的確に問題を把握し、解決策を与える占い師もいることだろう。
そうしたことを広義に解釈し続ければ、それはいつか千里眼となるのかもしれない。
「西帝さんは、千里眼の持ち主でいらっしゃるのですか」
「それは、違うと言ってます。何も見えることはないと。その、目が見えた頃から」
「では、運勢のようなものがおわかりに?」
「運勢? そうなのかな。俺たちは、水曜に気をつけろと言われてます。悪いことが起こるなら、秋の水曜だからと」
なんとなく噂に聞き、想像していたよりは、具体的な指示の占いである。
「水曜以外の曜日には、特筆して悪いことは起きないという意味ですか?」
「さあ。あいつが怪我したのは月曜ですし。ただ、忘れると怒るので、気に留めるようにはしてます」
西帝の気持ちを尊重しているに過ぎず、占いを信じているというわけではないのだろうか。
長老は占星術の知識を持ち、掟の条文には縁起に由来する一節もある。克己はパワーストーンで装身具を作るらしい。
家を建てるときには神主を呼び、野球選手はジンクスを重んじる。医師はプラシーボ効果を見越して薬を処方するものだ。その程度の話ならば、何もおかしなことではない。
男はちらりとだけ和泉を見た。
「前の先生から、西帝のそういう話を聞いていたりはしませんか」
「いいえ、特にはうかがっておりません。此紀さんはどのようなことを?」
「自分についての占いも、あれば教えてほしいと」
「そんな試すようなことを言ったんですか。あの方が?」
「というか、たぶん、信じてらしたんだと思います。実績があったので」
和泉は相槌を保留して、少し考える。
確かに、此紀はスピリチュアルの分野に肯定的であったと思う。少なくとも和泉よりは。特定の宗教を奉じていたわけではないが、霊魂や転生という言葉がときおり発された。
それにしても、占いを信じる印象はない。患者に話を合わせたのだろう。
それに倣うべく、和泉は返答を考えた。
「実績というのは、西帝さんの占いが当たったことがあるということですか?」
「そうです。離れの火事と、あといくつか」
「――あの火事ですか」
現在、屋敷には過剰とも思える数の消火器が設置されている。そのきっかけとなった事件だ。
しかし、火事を予言し、それも当てたというのは、穏やかではない話である。
男は和泉の胸中を察したか、あるいは此紀からも含められていたのか、「わかってます」と言った。
「火事のことは、他の誰にも言ってません。あいつが疑われるので」
「そうですね。口外なさらないほうがよろしいでしょう」
火災の予言は、たやすく当たってしまう。
述べた刻限に合わせて火をつけるだけだ。
西帝がまさかそのようなことをするとも思えないが、和泉はそれほど、この兄弟のことを知っているわけではない。
自分が予言者ならばと、和泉は考える。
たとえ未来を予知できたとしても、災害のことは報せまい。人災ならば疑われ、天災を当てたとしても、非難が集まるはずだ。
予言は公開せず、信頼できるごく少数にだけ注意を促す。和泉は博愛主義者ではないから、そのようにするだろう。
そういえばと気付いた。
「まさしく、秋の水曜になりましたね」
「はい。なので、できれば、普段と違うことはしたくなかったんですが、いや」
すみませんと言って、男はうつむいた。
→7話
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