「忙しい」という呪いの言葉
物事には「Priority(優先事項)」というものが存在する。
現在の自分の状況を客観視して、冷静かつ論理的に考えたとき「次の一歩はどうすべきか」「今行ってる事は本当に今やるべきなのか」が自ずと見えてくる。
だから心に余裕を持って作業に取りかかれる。仕事だって、プライベートだって、お金の管理もそうだ。
締め切りはいつで、いつまでに終わらせるために、今は原稿を書く。デートはいつで、いつまでに痩せるために、今は運動する。欲しいものはこれで、いつまでに買うために、今は節約する。
ただ、なんとなく目の前にあることを熟すだけなら猿でもできる。いつのまにかやることが溜まっていって「忙しい」という一言で片付ける。
「心を亡くした人」を誰が魅力的に思うだろうか。「忙しい」という言葉を簡単に使ってしまう人は苦手だ。
なるべく自分でも使わないように意識している。忙しいは「人」も「チャンス」も遠ざける。忙しい人にお願いしようとは思わないもんね。忙しいが口癖の人を頼りたいとも思えないもんね。
逆に言うと、心に余裕のある人は素敵だ。
自分の生活と感情をコントロールできて、最善の策を提案できる人。何事にもポジティブで、責任感があって連絡がマメな人。
仕事においてもプライベートにおいても即レスできる人の信用度は高い。大切な話をしているのに1日以上返事をしない人への信用はどんどん崩れ落ちていく。
どうでもいいくだらない話は別としてね。
ここ数日、とあることについてずっと考え今までにないくらいに真剣に悩んでいる。まだ見ぬ世界、経験したことのないことは基本的に楽しめるし、ワクワクできるのだが今回はちょっと違っていた。
私1人で考えても到底ゴールや道筋が見えない課題だ。フリーランスの私にとって、誰かと二人三脚で足並み揃えて壁を乗り越えるという行為自体がハードルが高い。
ましてや、家族以外の誰かと歩幅を合わせるなんて。正直、自信がないし不安ばかりだ。
だけどこの課題はどうしても私1人じゃ解決できそうにない。しっかり綿密に話し合って相手と自分の納得いく繋ぎ目を見つけなければいけない。
それなのに「忙しい」の一言で済まされるのは本当にもどかしい。
私にとっての優先事項は、相手にとってはそれ程重要じゃないのかもしれない。でも第三者から見ても明らかに優先すべき課題であることは間違いないのだ。
逃げなのか、鈍感なのか、はたまた何も考えてないだけなのか。
わからない。
ただ、一つ言えることは
「忙しい」という呪いの言葉を安易につかう人に深入りするのは危険ということだ。