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僕らは「余白」に投資する。
ふと、駆け抜けてきた自分からすうっと幽体離脱する時がある。
それはなにも、寝ている時に体がふわっと浮き上がる訳ではないのだけれど。
目を瞑って息を深く吸うと、自分の姿がまぶたの裏側にぼやりと淡く映るのだ。
その姿はとてもちっぽけで、笑えるくらい大きな夢を語っている。
「自分の見たい世界を創りたい。」
彼女は一寸の迷いもなく語った。
資本主義の世の中でタブーとされることがあるとするなら、それは「無益なことだけして生きること」だろう。
例えば、今書いているこの文章だって一円にもならない。
何人の人が読み、その中の何人の人の心に響いたかさえも。
だけどもこうして私は、言葉を綴る。文章を紡ぐ。
自分の中にある上手く話せなかった感情をこうして自分と対話しながら文字にするのが大好きだ。
読みたい人が、読みたいときに、読みたいぶんだけ読めばいい。
文章は置いておけるから好き。誰のことも束縛しない。
昨夜、とても有意義な話をしたから聞いて欲しい。人生の「余白」について。
生きるために最低限必要な「衣食住」。
そこに「お酒」や「タバコ」、「音楽」という項目はない。だけど私の生活にとって「お酒」と「音楽」がなくてはならないように、若い世代にとって「嗜好品」や「娯楽」は生活に必要不可欠なものだ。
ZOZOTOWNでおしゃれな服が着れて、Uber Eatsで美味しいご飯が食べられて、Airbnbで綺麗な家に住める。インターネットで調べれば簡単に欲しいものが手に入るようになってしまった現代に「物欲」なんて言葉が存在していいのかさえ怪しくなってきた。
全てのto doにおいて理由を欲しがる私たち若者が一番欲しいのは「余白」だと思う。人生にどれだけの「無」になれる「時間」と「空間」を生み出せるか。「無」から生まれるものは「むき出しのままの本来の自分」である。
「お金を稼がなくていい世界ならなにがしたい?」
やりたいことや求めていることを見失ったとき、自分に問いかける。
「大切な人とお酒を飲んで、言葉を綴り、愛を語り合いたい」
ただそれだけだった。
エルメスの服も、フレンチ料理も、タワーマンションもいらない。
好きなデザインの服、好みの味の料理、居心地のいい家。
自分にとっての「好き」の物差しで選ぶ。
そしてそこには必ず「完璧」じゃない「余白」が依存する。
その「余白」とは作り手の想いであり原体験であり、そのモノを通して伝えたい世界観。時間と空間だ。
「梨花一心」というフルーツビールを通して、忙しない現代社会で疲弊した心と体を癒す【間】を能動的にとってもらいたい。
そして「梨花一心」は自分のためでなく、大切な人への労り(いたわり)や労い(ねぎらい)の気持ちでプレゼントして欲しい。
全力で走る大切な人へ「たまには足を止めて休んだっていいんだよ」と伝えるツールとして「梨花一心」を飲んでもらえたら嬉しい。
私が物であふれる時代で物を作ろうとしているのは、形のないモノを形のある物を通して伝えていきたいからなのだと思う。
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