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「なんだから」と「なのに」からの脱却
「無事、大きな男のが生まれましたよ。」
昨年、2020年6月。
これまでに味わったことないような永遠ともいえる長い時間の中、意識が飛びそうなほどの痛みが走る。
コロナ禍で立ち会いも許されず、病室で1人、陣痛に耐えていた。
なるべく痛みから意識を逸らすため、病室にパソコンを持参し分娩室に入る直前までいつもと変わらず仕事をしていた。
そして、生まれた1人の男の子。
想像以上に小さくて握ったら折れてしまいそうな手足と半開きの目、出会った瞬間に胸の奥から自分が持っていたと思えないほどの愛情が溢れかえり涙と共に押し寄せてきた。
私はこの日から母になった。
母になったと言っても、コロナのようにいきなり突然変異するわけでも、ポケモンのように進化して姿形が変わるわけでもない。
しかし、社会からの目は変わる。人生という舞台の上で「大和くんのお母さん」としての【わたし】をきちんと演じなければいけない。
でも、お母さんを完璧に演じようとすると疲弊してしまうこともある。お母さんになってしまいすぎて女としての【わたし】がへそ曲げちゃうこともあるのだ。
経営者としての【わたし】は野心メラメラだし、女としての【わたし】は色気ムンムンだし、お母さんとしての【わたし】は母性ガンガンでいたい。
全わたしを上手に演じるためには無敵のバイタリティと心の余裕と体の健康が必要不可欠でそれらを手にするために選択を強いられる。
うまくいっているように見えて、実はやばい失敗もたくさん犯しているし、他人には言えない辛く恥ずかしい過去だってある。
現代はそれら全てをさらけ出しSNSで共感を得ることが美学とされている節があるが、わたしにとってそれはすこし勇気がいることであろう。
必ずしも全てをソーシャルに伝えることが正しいとも限らないし、伝えるタイミングを誤まるとただの不幸自慢で終わってしまう。
わたしの不幸を知って、誰かが幸せになるのであればいいがある一定のわたしのことを嫌っている彼らを除いて、幸せを感じる人はいないだろう。
どうせなら、できるだけ前向きで明るい言葉を伝染させていきたい。
母になるということは、どういうことなのか。わたしは暇ができると考えるようになった。
「お母さんなんだから仕事よりも子供のことを考えて」
「お母さんなんだからやりたいことも我慢して」
「なんだから」の抑制を受けることがある。
「お母さんなのに、そんな服装やネイルして」
「お母さんなのに、そんなに仕事ばかりして」
「なのに」の偏見を受けることもある。
わたしじゃない誰かが決めたお母さん像に吐き気がするし鳥肌が立つ。
母親だって他の人と平等に1人の尊重されるべき人格があるのに。
生まれる直前まで周りと変わらない1人の女であったはずなのに。
母と呼ばれるようになったあなたやこれから母になるあなたに届けたい。
母親という役割を重く捉えなくていい。365日24時間、母を演じる必要なんてない。女になってもいいし、ビジネスマンになったっていい。
自分を理想の母親像に縛らないで。
あなたは美しい1人の女性であることは、母になっても変わらないのだから。
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