愛の証明。
ずっと、カタチのないものを「確かにここに在る」と断言することに躊躇いがあった。それは無いように見えて在ったり、在るように見えて無かったりもするから。
誰かを愛したいと思うことは、ついこの間まで青々としていた広葉樹の葉がふと見あげたらもう黄褐色になってしまっているように、うんと儚くてうんと尊いことだと思う。
誰かから愛されたいと思うことは、暑いと頭を垂れ夏バテと騒いでいたのに今度は寒くて布団から出られないと弱音を吐くように、ちょいと我儘でちょいと醜いことだと思う。
だけど私は我儘で醜い生き物だから誰かに愛されたい。愛してくれる人を、愛したいと思っていた。愛されなきゃ愛そうとしないなんて、臆病にも程がある。
でもきっと怖かったのだ。
愛を拒絶されるのが。
「好き」という一言を伝えることになんの障壁も無い人が羨ましかったりもした。人たらしで、博愛主義者な誰かを妬ましく思う時もあった。
そんな器用な生き方が出来たらどれほど楽だろう。「この人が好き」と思ったら「好き」と素直に言えて、拒絶されることも恐れず...というよりそういう人は拒絶されても本人は対して気にしてないからすごい。
何度もそんな自分を変えようと思ったけど変えられなかった私にある出来事が起こった。そしてそのおかげでまた自分から人を愛そうと思えるようになれた。
それは数日前に見た夢の中の出来事だ。大人数のいる社交場で初対面の人々が他愛も無い話をしながら笑いあっている。私もとある男性に話しかけられて、当たり障りのない会話をしながら得意の愛想笑いで対応していた。
「つまんない...逃げ出したい...」
男の人は決して不細工なわけでも話が極度につまらない訳でもなかった。だけど、私は中々相手に心を開けず本音で話せないばかりか話題をつなぐことが上手にできなかった。会話が途切れ、気まずい沈黙の中キョロキョロと周りを見渡すと見慣れた1人の人物が目に止まった。
その瞬間、鉛のように重かった足がすっと動き引き攣りそうな表情筋がふわりと和らいだのがわかった。相手もこちらに気づき、満面の笑みで近ずいてきてくれた。私は嬉しくて嬉しくて、周りの大勢の人達が視界から消えてしまうほどにその人を見つめた。
私のことを心から大切に思い、それを沢山言葉で伝え行動で示してくれる人。不信感でぎゅうぎゅうだった心を少しずつ開けてくれて、信じることと愛することを教えてくれた人。
ああ、ほんとだ。愛は確かにここに在る。
愛を証明するというのは、その人のことを想って伝えること、行動すること。
決してDVをしたり監禁したりするような相手を苦しめることではなく、たくさんハグしたりキスしたり、病気の時に看病したり辛い時にそばに居て泣き止むまで宥めてくれたりすること。
相手が幸せになることを考えて動くこと。
大切な人も生きる社会も幸せになる選択をし続けたい。
それが私にとっての「愛の証明」。