一蓮托生(※結構思想強め)
右手指の腫れの範囲が広がってきたので、隣町の未接種の人が経営している病院に行ってきた。
予約の電話の段階でシェディングの話しが通じる。ここ最近関わる人達が当たり前にそんな感じ。とは言え患者さんはもちろんいろんな人が訪れるわけだし、いつも通り対策グッズを身につけて家を出る。
先日の量子力学的な話しで言えば、同じ周波数のもの同士、感じていることが引き寄せられる。
「シェディングが怖い」「人混みに行って余計もらったらどうしよう」。
こんな考えでいたら、そりゃ引き寄せてしまうんだろうなということは分かる。
「できるだけ意識しないように」と思っている時点でめちゃくちゃ意識してしまっている。
お釣りをもらうときにトレーに乗せずに直接手渡してくる人に対して、内心「やめてええ触らないでえええ」と思ってしまっている。(ごめんなさい)
前回の記事で、「棲み分けという選択肢がしっくりこない」「どうにか手を取り合っていけないものか」とか書いておいて、一方で上記のようにも思ってしまっている。どちらも本心なのだ。
物理的な対策はももちろん大切だし、そもそもそんなレベルの問題じゃないのかもしれないけど、私はこの意識を変えない限りシェディングを受け続ける気がする。
最近ふと思い浮かぶ言葉。
今の私に必要なのはこの意識なんだろうな。
敵じゃない。その人が悪いわけでもない。
同じ時代の同じ星に生まれて、それぞれが必要な体験をしているだけ。
心の奥底では分かっているんだろうけど、頭と身体がついてきていない感覚。
ここがきちんと一致すれば、無理なく健やかでいられる気がする。
今の私はちょっとまだ噛み合ってない。
早くここを抜けたい。
とりあえず家を出る前に、「みんな敵じゃない、一蓮托生」と心の中で唱えてみようと思う。
大丈夫。
意味のないことは起こらない。
なんとかなる。
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