お金って"ただの紙切れ"なのにコスパ良すぎん?
某日の夜のこと。
一人暮らしを始めてから約5年連れ添った電子レンジが、小さな爆発音とともにその役割を終えた。
レンジで作るレシピや日々のなんちゃって白湯もどきを作るとき等、使わない日はほぼなかったのでは?というくらい、毎日のようにお世話になっていた。7000円以下という破格のものだったので、5年も保てばいい方だったのかもしれない。
(※普段散々「電磁波ガー」とか言ってるくせにヘビーユーザーかよ!と思ったそこのあなた。安心してください、エスシーケーさんの「レンジプロテクター」を使っていますよ!)
(※回し者ではありません)
幸い今は無職なので、翌日の午前中にはすぐに買いに行けた。前回のものよりはやや高い、それでも1万円でお釣りがくる程度のものを買った。
そして家に帰って設置して、その日のお昼から再び電子レンジを使う生活に戻った。
そしてふと思った。
「もしこの電子レンジを1から全部自分で作らなければならないとしたら?」
「それが"福沢諭吉の描かれた紙"を1枚差し出すだけで、なんの労力も時間もかけずに完成品と交換してもらえるってコスパよすぎん?」と。
電子レンジに限らず、食べる物や住む場所やサービス等、「1から全部自分で作れ/やれ」と言われたら途方に暮れてしまいそうになることでも、"お金という名のただの紙切れ"を差し出すだけで、瞬時にそれらを手に入れることができる。
ただこれは「だからお金ってすごいんだ」と言いたいわけではない。
もしその"お金"がそんなに価値のあるものなら、引き換えずに手元にとっておくべきだ。
でも引き換える。
それはそんな「すごいお金」と引き換えてでも「欲しいと思えるモノやサービス」、及び「それらを提供できる人」の存在があるからで、それらの存在がすごい、ということだ。
そして逆を言えば、「その価格に見合った価値を感じていないのになんとなくお金を支払う」ということは、とても勿体ないということだ。
なんとなく、安いから、いつも買っているから。
そんな理由で「すごいお金 」を手放してしまうとしたら、仮に価格的に得をしたとしても本質的にはそっちの方が損ではないだろうか?
利益第一で人や環境を大切にしない企業、モラルや良心に欠ける企業。
よく「買い物は投票だ」というけど、"そんな企業"にお金を落とし続ける限り、"そんな商品"ばかりが市場に並び続け、"素敵な企業"や"素敵な商品"は淘汰されていってしまう。
この不景気な時代に値段以外のことなんか気にしてられっかよ!とかあるかもしれないけど、"お金という名のすごい紙切れ"の使い道について、改めて考え直してみてはいかがでしょうか。
(by ガ○ボ買をおうとしたけど「me○ji」のロゴを見てそっと棚に戻した無職無収入の人のより)
(ギ○ビスも大好きなんだけどこれまた違うベクトルで残念だなあ)
(たべ⚪︎子どうぶつが有名だけどアスパ○ガスビスケットこそ至高)
(異論は認める)