何回も見てるけどやっぱり泣いてしまう『魔女の宅急便』のすてきなところ
金曜日ロードショーで『魔女の宅急便』を見ました。
ジブリ大好きなので、もう何回も見ているけれど、見るたびに心がじんわり優しくなる。
作中に登場する海の街は、スウェーデンにあるストックホルムがモデルになったと言われています。
高校生の頃、わたしはストックホルムに行って「ああここが魔女の宅急便の舞台なんだ」と想いを馳せたことがあって。
だから作品を見ていると、あの頃の旅のたのしさや海の香り、風のここちよさ、街並みのうつくしさがよみがえって、懐かしさで胸がぎゅっとなる。
『魔女の宅急便』は見習い魔女キキが、修行のために、見知らぬ街へ行き、そこで宅急便屋さんをやりながら、挫折して、成長していく物語。
わたしが好きなところや、すてきなセリフを綴りたいと思います。
「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。神さまか誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ」
このセリフは、キキの魔法の力が弱まってしまって、空が飛べなくなってしまったとき、友達のウルスラが言ったセリフ。
その人にしか流れていない血。それは、その人しか持っていない特別なもの。
人前で話すことが得意な人もいるし、細かい作業が得意な人もいるし、文字を書く人が得意な人もいる。
人とは違うということは、たしかに苦労するし、悩むし、辛い思いもするけれど、その個性はその人にしか使えない『魔法の力』のようなものなんだと思います。
それは、どんなに他人ががんばっても身に着けられない、生まれながらにして持った天性のようなもの。
すてきだな、と思ったセリフでした。
「おちこんだりもしたけど、わたしは元気です」
これは作中にはでてこなくて、ポスターに書かれたキャッチコピー。
わたしが敬愛する糸井重里さんのことばです。
人生をぎゅっと濃縮したような、いろんな想いがつまったセリフだと思いました。
おちこむし、涙がでるし、悲しくなるし、どうしようもなく不安になるし、眠れない夜はある。
だけど、それが長続きすることはなく。その1時間後には、その1日後には、その1か月後には、笑っている。前を向いている。気力が湧いている。
おちこむことと、元気になること、それは波のようにくりかえし何度も訪れて、それが人生をかたちづくっている。
作品の最後にも、似たようなセリフをキキが言う。
「落ち込むこともあるけど、わたしこの街が好きです」
「落ち込むこともあるけど、わたし自分の人生が好きです」っていえたら素敵だよね。べつに人生じゃなくても「落ち込むこともあるけど、わたしこの仕事が好きです」とか。
胸を張って「好き」と言える生き方をしたくなる、そんな物語の力が『魔女の宅急便』にはあるのだと思いました。
最後に松任谷由実さんの歌「やさしさに包まれたなら」についても。
「おとなになっても奇跡はおこるよ」
「目に映るすべてのことはメッセージ」
やさしい歌声もここちよい静かな曲調も好きだけど、なにより歌詞に励まされました。
出だしの歌詞は……
確かに子どものころは、なんでも願いが叶うような、あたたかくて優しいなにかに守られているような、可能性に満ちあふれていた。
だけど、大人になるにつれ、すこしづつ、なにかを信じることをしなくなる。夢とか愛とか願いとか、奇跡とか。
それでも、わたしたちはたとえ大人になったとしても、奇跡を起こす力を持っているんだと思う。
いくつになっても、願いは叶うんだって、歌詞に励まされているような気分になる。
そしてサビのところ。
普段、何気なく見ている日常の中に、なにかヒントのようなものは隠れているんだよって言われているような気がする。
今目の前で起こっていることは、自分になにかを伝えようとしている。
それに気付けるかどうかで、きっと人生はいくらでも好転していく。
悩んでいるとき、苦しいとき、前を向けないときに『魔女の宅急便』を見ると、ひとつひとつのセリフがシーンが音楽が、心にやさしく沁み込んでくる。
たぶん、とうぶんはずっと家で歌を口ずさむだろうなぁ(笑)