繊細であることは弱いことではない。
”HSP”であることを、誇りに思い、胸を張って、堂々生きられる世界には、まだほど遠いなぁと感じる。
「繊細さ」「敏感さ」は、天からのギフトであり、その人の個性であり、それに優劣をつけるものではない。
だけど。
めまぐるしく変化する社会で、結果やスピードや効率化が求められる社会で、忙しく働くことが当たり前の社会で、「敏感さ」や「繊細さ」は受け入れられていない、ような気がする。
会社で働いていると、まるで「敏感であるわたし」「繊細であるわたし」が劣っているように感じてしまう。
「繊細さん」「HSP」という言葉がテレビや本で話題になって、社会でも知られるようになってきて、少しづつ理解を得られるようになっているのかもしれないけれど、
それでもやっぱり「窮屈さ」や「生きづらさ」は感じる。
まだ「わたしはHSPです」と言い出しづらい空気が、日本にはある。
繊細であることや敏感であることが、メンタルヘルスの問題やストレス耐性が弱いという認識のほうが強くて、
繊細、敏感、HSP=弱者側
みたいな方式があるんだと思う。
敏感だからこそ、周囲の変化にすぐ気付ける。
繊細だからこそ、ちいさな幸せによろこびを感じられる。
人とちがうからこそ、その人にしかできないことがある。
もっと、自分の性質を誇っていいはずなのに。
もっと、自分の個性を活かしていいはずなのに。
繊細であること、敏感であること、HSPであることを、隠して、押し殺して、我慢して、生きづらさを覚えて過ごしている。
社会の波にのみこまれて、息ができなくなるときがあるけれど、すこしづつ自分の個性や性質をいかせる生き方をしていきたいと思う。
生きづらさを抱えているひとたちが、もっと声をだせる世界になればいいと思う。