【自己紹介】 私の生い立ち(誕生〜中学編)

誕生就学前まで 】 人生幸福度:20 〜 50 % くらい?

岩手県の素朴な港町で生まれ、山里に育つ。
下級公務員の父母、零細自営業の祖父、専業主婦の祖母 といった家庭。

2歳の頃に、弟が誕生。でも、弟誕生の記憶なし。
私が弟の存在を認識したのは、私が4歳の頃が初。

就学前の記憶は曖昧で詳細に覚えていない。
両親曰く、私は内気な性格だったらしい。
たしか、毎日保育園に行くのが嫌でたまらなかった気がする。

小学校入学直前、6歳で親の意思でピアノを習わされる。
最初の3年は嫌でたまらなかった。
が、このキッカケが後に私を音楽の道を志すことにつながった。

小学校時代 】 人生幸福度:0 〜 80 % 

小学校の最初の1年は楽しんでいた気がする。
ここから2年生くらいまでお絵描きが猛烈に好きだった。

小学3年生くらいから目立ちたがり屋な性格に一変。
そのきっかけは何だったか覚えていないけど、
「将来の夢はアイドルになりたい!」なんて豪語してた。
周囲には全くもって応援されなかったけど。

演劇発表会で目立つ役を率先して演じたり、
学級委員や係活動のリーダーなどをやったりしていた。
地域の合唱団に所属して「表現すること」「音楽を奏でること」
の楽しさを感じはじめたのも小3の頃から。

そして、この目立ちたがりな性格で
積極的に校内外の活動に参加する傾向は
小学校 高学年 〜 中学校を転校する前まで続いた。

小学4年生になるまでには両思いの彼氏がいた。
笑っちゃうくらい早すぎる恋愛。

多少のクラスメートとの紛争はあれど、
小学校生活はまあまあ楽しかった。
しかし、家庭での幸福度は著しく低かった。

母が極端に厳しい、キレた時が怖い、
「お姉ちゃんなんだから、弟のために我慢しなさい!」と叱られ続けた。
こういった、親からの " 弟びいき " が憎くてたまらなかった。

中学校時代(転校前) 】 人生幸福度:0 〜 80 % 

地元の中学校に入学した当時の私は、
小学校3年生からの「目立ちたがり屋で積極的」なスタンスが
ほぼそのままに継続していた。
部活は弱小 吹奏楽部に所属。フルート担当。
当時の彼氏にもっと好かれたくてなぜかフルートを選ぶ。
その選択の効果のほどは ... 未だに検証不可。

学級委員長をやったり文化祭など学校行事も積極的に参加した。
学級委員長の仕事はツラかったけど、文化祭は楽しかったなあー。

中学時代で一番嬉しかったことは、中学2年の時に
「市が主催の中学生向け国際交流派遣ツアーに応募して受かったこと」。
アメリカの田舎町にホームステイして派遣先の学校でフルート演奏や得意な歌を披露。そしたら、日本ではありえないくらいべらぼうに褒められて、良いカルチャーショック受けて帰国。

中学校生活をそれなりに楽しむ一方、家庭環境は小学校時代と相変わらず。
両親の理不尽な弟びいきに嫌気が差しまくっていた。


中学校時代(転校後) 】 人生幸福度:-100 〜 30 % 

私の人生の大きなターニングポイント その1 。

母親の単身赴任により、
中学2年の冬休み明けからいきなり転校させられる。

転校して中2が終わるまでのクラスは楽しかった。
仲のいい友達もすぐにできたし、先生たちにも気に入られた感触だった。
しかし、中3になってから突然のクラス替えにより状況は一変。
いじめられるようになる・・・
教室に朝登校したら私の持ち場に画鋲がばら撒かれてたっけ。
先生に通報しても対応いまいちだったな。

吹奏楽部の強豪校で練習も厳しく、人間関係も最悪の極みで、
本気で音楽が嫌いになりそうだった。
地方大会で良い成績は残せたけど、全然嬉しくなかった。

転校により、ピアノや書道など今まで続けていた習い事を全部やめなければならなくなったことでフラストレーションが溜まった。
校外での習い事は、学校での嫌なことを忘れられる場だったからね。

家庭環境は、私と単身赴任の母との2人暮らし。
学校の愚痴を言うと母は嫌な顔をしてすぐキレる。
家庭に安らぎはなかった。

そして、この不遇な状態は高校卒業するまで引きずることになる。


〜 高校・大学・現在編に続く 〜


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