プラスチックの削減だけが正しいやり方なのか?
2020年7月からプラスチック袋が有料になり、日本人にプラスチックというものを考えさせるきかっけになった。
実際は、そうでない。ただ単に、エコバックを持っていかないと
余分に2、3円とられるという意識づけだけをさせた。
『脱プラスチック』の動きは、ビニール袋だけでなく、
ストロー、フォークなどのカラトリート多岐にわたってこのムーブメントが起きている。
なぜ、この動きが起きているか。それはプラスチックが海に溜まったり、
土に還ることができず、環境破壊を引き起こしてきるからだ。
全部、『プラスチック』のせいだからだ。
プラスチック問題の本質
この言葉に違和感を感じるのは、私だけだろうか。
問題の本質から、目を背けてはいけない。
プラスチックを利用しているのは、人間。
捨てているのも人間だ。
『プラスチックによる環境破壊』を引き起こしているのは、プラスチックでなく、人間なのだ。
それをあたかも、プラスチックのせいにして、人間は責任を逃れている。
プラスチックからしたら、いい迷惑だ。
プラスチックは、とてもいいやつだ。
自由に加工することができ、丈夫だ。長年、愛され続けてきた。
しかし、環境破壊の一因になっていることが分かってから、除け者扱いされている。
「僕は、人間の使われるがままに、使われたのにどうしてなんだ。」
プラスチックの叫びが聞こえてくる。
人間が本当に諦めてしまったもの
こうして、プラスチックは便利だったが、人間に愛想を尽かされた。
ただ、人間が本当に愛想を尽かしたものは、『人間』自身だ。
プラスチックをきちんと処理してれば、この問題は起きていない。
初めは、しっかり処理をしようという方向に舵を切ったかもしれない。
その中でも、コストや手間がかかることを怠る人間がいる。
そういったことを罰する、注意する、教育することで、人は世界をよくしてきた。
しかし、いくら注意してもポイ捨てする人や、産業プラスチックを処理しない人は減ることは、なかった。
いや、最初から諦めていたのかもしれない。
ならば、プラスチックのせいにして、プラスチックを減らすことにする他なかったのかもしれない。
プラスチックなき今後の世界は?
プラスチックを減らすことで、環境破壊を止めることはできるかもしれない。
しかし、人間の意識が変わらなければ、このような惨状は繰り返すことになるだろう。
予防策として、学校や会社、地域での教育は必須になる。
清掃ボランティア活動を行う際、なぜこの活動をしなければならないかを参加者に考えてもらうことで、意識づけをするのも効果的かもしれない。
(もっとも、ポイ捨てする人間は参加しないだろうが。)
今も市町村の条例では、ポイ捨て禁止を掲げているが、守っている人も少ない現状を考えると、もっと罰則力のある法が生まれてしまうかもしれない。
良識を持つ人間が少なくなったとき、人間は、社会性のある動物ではなくなる。
そうならないことを願っている。
画像:九州大学 応用力学研究所 海洋プラスチック研究センターより引用
https://www.riam.kyushu-u.ac.jp/organization/cops.html