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「察してよ」というスタンス、私も嫌いだけど
「当たり前に出来ることだよね?」
「ふつう、そうするよね?」
9回見逃した後の10回目に、後出しで言われる親からのこの言葉が、私は大嫌いだった。
その後、どんなに自分がやらなかった理由を述べても、「でも」「だって」を使うようになり、結果的に言い訳のようになってしまう。
双方にある「話し合いの権利」を無視して、最後の決戦で「あなたの負けです。異論は認めません。」と言われているみたい。
勝ち負けじゃないのはわかっているけど、話し合いの過程を飛ばされたら、気持ちの譲歩ができず、立場に上下関係ができて関係の修復は難しくなると思う。
それを踏まえて、私も夫に「察して」の空気を出すことなくきちんと口に出して言わなければ…。
言いたいこと
①私のほうが休みの数多いから洗濯、掃除ををしているけれど、水回りの掃除(トイレ、台所、浴室)は細めにできるしやる必要があるよね?髪の毛が詰まらないのはたまに私が変えているからだよ。
収入は私の方が上(資格持ちなので)だけど、収入の差にあれこれ思うことはまったくない。
②私は夫が長い通勤時間や夜勤を、不満を言わずにこなしていることを感謝しているし尊敬もしている。だからこそ「夫が居ない時間」に家事をするようにしている。夜勤前、夫が寝ている時に掃除機はかけないなど。
そう、私が「不安」で「不満」で「子どもいいや」って思う理由は、②にあると思う。
お互い連休が被ったときも、2人で外出すれば夫から掃除をしようと提案することはない。
私が仕事で夫が休みの時も、掃除をすることなく…洗濯は、私がやっておいてくれる?とお願いする。
このような中で子どもが産まれたら、私は多分「夫の負担にならないように、夫がいないときにできる家事育児をする」ようになる。
妻が産休、育休、時短で育児をする中、世の中の男性たちの仕事時間は決められたものであり、変えられないからこそ、「妻の配慮で見えない育児、やるべき事」が見えず「楽勝でしょー」なんて思うのではないかな。
私が子どもかわいいな、夫婦以外の家族も幸せそうだな、と思うのは「一瞬の切り抜き場面」だからだと思う。
夫が、たまに会う叔母さんたちの子育てを見て、「あんまり気負いせず、忙しいなりにゆるくやっているよ」って言うのも、それは多分叔母さんたちはそういう場面しか夫に見せていないからだ。
女だからこそわかる大変さ、出産育児にどうあっても主として体験できない男性の認識の違いは、確実に存在する。
夫は、「いつもありがとう」と言ってくれるし、私がご飯を作っていると「何やればいい?」と一緒に台所に立ってくれる。私が欲しいものも、買いなとどんどん買ってくれる…。愛されているよ本当に。感謝…。
だけど、「夫を配慮して見えないところでやっている家事」の時間を差し引いた、余白時間を育児にとられてしまったら、私は優しく笑えないかもしれない。そのことが怖いんだ。
仕事頑張っている夫に「もっと頑張ってよ!」と言えないのではなく、「言いたくない」から、現状の2人生活がいいと思うんだ。
持ちたいと思う理由があるとすれば、「夫が欲しがったから」だ。
noteを書くようになって、自分の中の考えがはっきりとするようになった。