大学生が社会問題についてつらつらと語る。①
この文章を書くにあたって、まずはじめに申し上げておくことがあります。それは、私は政治家でもなければ政治の専門家でもなく、特別右や左といった政治的な思想があるわけではありません。どちらかといえば中道右派かな、くらいには考えていますが、明確な政治思想があるわけではないということをご承知おきください。したがって、本記事が右派左派どちらかの思想に対して支持を表明するものではないということもここで明言させていただこうと思います。あくまでも私個人の意見である、ということですね。
さて、本題です。今回は東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言したニュースについて取り上げていこうと思っています。私はこのニュース、というより森会長の発言に関しては批判的な立場をとります。何よりも良くないのは言い方ですね。あくまでそれを前提としますが、しかし、全文(https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202102040000028.html)に目を通すと、
「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。」という発言がありますね。こちらの話で語られているのは、「女性は積極的に発言する(発言の是非はとにかく)ため、会議の時間がかかるので、会議の時間を区切った方がいいという話がある」ということですよね。
私が森会長の発言に対して批判的な立場をとっていると表明したのは、ここで主張されている「女性が積極的に発言するため会議の時間を区切った方が良い」というのは、別に女性に限った話ではないからです。男性でも同じことは充分起こり得ます。そしてこの後の発言によって、自らの組織の女性を褒めるために「会議で積極的に発言する女性」を貶めてしまったことに問題があると考えているからでもあります。
さらに続けると、
「私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。」という発言がありますね。こちらを読めば、森会長の主張は「組織委員会にいらっしゃる女性は皆国際的に大きな経験をされている方ばかりであるから、お話も的を射ている」というふうに読み取れます。
この発言の前文から考えると、要するに「女性が入ると会議が長くなると文句を言ってくる人もいる(森会長が文句を言っているわけではない)が、組織委の女性は国際舞台でも活躍されて端的に良い意見をされる(これが森会長の意見)から、我々にとってとても役に立つ」というふうに読み取れます。
多様性が謳われる社会、という視点で見れば、森会長の発言は問題なのかもしれません。ですが、この問題を取り上げている方々が森氏、あるいはJOC、政権を批判するための棍棒として持ち出していることの方が私には問題に思えます。
「女性差別をするな」と訴えるフェミニストの方々が「男性を差別する」という、もう何でもありのとんでも面白劇場みたいな有様です。メディアはは「視聴率」、左派は「政権批判」、野党議員は「票稼ぎ」、そのほか芸能人の「パフォーマンス」のために、揃ってお気持ちを表明するというカオスが生まれています。
そしてここからが本当の問題なのですが、この問題を批判している方々のほとんどは「コロナ禍で働く医療従事者(の確保)」や「オリンピックで活躍するアスリート(の生活)」、「オリンピック開催をキャンセルした場合の違約金(の財源)」については触れていません。いわゆる「感情論」での批判になってしまっているということですね。さらに、この問題に対して批判を行った芸能人のファンが「脳死で肯定してしまっている」というところです。ロンブー淳さんのYouTubeチャンネルに挙げられた動画のコメント欄などが最たる例かと思います。
ちなみに不思議に思えてならないのですが、それこそ森氏の発言に「簡単に来年に延ばせばいいとか、フランスに変わってもらえばいいとか、4年後でいいんじゃないかとかですね、そういう無責任なことを言う人たちがスポーツ評論家の中にもあるというのは、何なのかなあと。学問をやっているようだけど神髄がわかってない人たちがある。これを1年延ばして、皆さんに大変ご迷惑を掛けました。特にアスリートの皆さんにご迷惑を掛けた。しかし、これを延ばすことによって今、公表されてますが(追加で)3000億のお金がかかりました。したがって(延期前が)1兆3500億円でしたかな。それが予算が(合計)1兆6500億円まで広がったわけです。これを東京都と私どもが折半します。国が出すのはパラリンピックだけでありますので1500億。これはそのままになります。したがって、私どもはスポンサーを集めて、お金を集めることはできないわけじゃない。しかし、これをやれば東京都と組織委員会には同額にするという約束になってますから。東京都が、そのお金を出さなきゃいけない。東京都はお金をどこから出すかと言ったら税金から出すしかないわけで。1兆6000億でおきたいんですが。これをですね、また1年延ばすと簡単におっしゃいますが、選手の管理をやられてるだけでバスを二千数百台、借りているんです。今年1年あるわけでしたが、そのまま据え置いて来年、乗用車が約600台から700台。バス運転手も、その倍います。取っておかないといけません。変な話ですが、築地の跡に車を止めてありますが、そこに運転手がみんな控えるとなりますと、トイレから何から全部、想像を絶するような準備をしなきゃいけない。~(中略)~まあ、そんなこと言い出したら切りがないです。これを全部、国民の皆さんに話してしまえば、だから金がかかるから五輪には反対なんだよ、という、またそういう声が出てくることになります。」という発言があります。この発言を批判した上でオリンピックを中止すべきだと論じる方々の中には、これらでかかった費用が結局自分たちの生活に跳ね返ってくるという視点はおありでしょうか? ここは非常に疑問ですので、良ければご教授ください。
この発言について批判をするもしないも、それを表明するもしないも自由だと思います。ですが、見出しを読んだだけでの批判はやめましょう。そういったごく少数の方々の態度が、巡り巡って左派の印象を悪くし、自民党の消極的支持者を増やしていくことにつながるのですから。
というわけで、まとめると
・森氏の発言は本人が言ったわけではなく他人の発言の引用
・批判するなら感情論ではなく論理的に
・見出しだけを読んでの批判は避けて
ということですね。今回の記事が好評であれば、またいずれ何かについて触れたいと思います。このような長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。