2024.04.08
夜桜を見ながら自転車を漕いですこしハッピーになれたこの頃。
ちなみに桜がたくさん生えているところでも幸せになれるけれど、個人的にはなんか飛び込めそうなレベルで生い茂ってる広大な三つ葉の野原とか見た方が気分が上がります。
さて、最近考えたことdump開始。
①言葉が口から出なくなった。思考が低レベルになった。
最近よくあるんですが、口から思うように言葉が出なくなりました。
何か言おうとしてたことをmid sentenceで忘れたり、思う言葉が口から出てこなくなった、というもはや若年性アルツハイマーかと思うほど。
それと同時に、昔は理解できていたであろうことが理解できなくなっている気がする。多分これの理由は単純明快で、スマホの見過ぎと、読書量がほぼゼロになってしまったことの結果だと思う。そら140字に収まる言葉のなかで、絡まっているこのいろんな環境を表す言葉なんて学べるわけないし、使ってない言葉を覚えるなんてことに私の頭はリソースを割いてくれないよね。
それに加え、当たり前だけど知ってる言葉でしか自分の頭の中は表現できないので、自分の視点とか視座、あらゆるものが低くなっていることをひしひしと感じています。
昔ぐらいの読書量に戻れるようになるにはとりあえず積読読破のリハビリとかから始めようかな。
②自分を褒めることが多くなってしまったこととその弊害
最近、自分を褒めてしまうことが多くなった。
別に悪いことじゃない(今年の目標のこともあるし)とは思うけど、褒められることってすごくaddictiveだから自分でその蜜を与え続けることってだいぶ危険。
個人的には、「いきててえらい」ってことば凄く嫌いなんです。本当にいきててえらい人は他にいるけど、そうじゃないただの傷の舐め合いみたいな意味でしか使われていないから。(これが全て悪いとは思っていません。自分のこころのケア is とても大事。)
自分でこれやっててえらい、って褒めてしまうことが多いけれど、別に自分以外がやればいい仕事は基本的に手放して、手じゃなく頭を動かすことが理想的なポジションにいることもあって、多分それは何にもえらくないし奨励されるべきことでもない。
けど、やっぱり作業をこなすことの達成感だったりとかから、目に見えて終わった!それを終わらせてる自分えらい!ってなりがちなんですよね、わたし。言葉が出てこないことともさっき言ったけど、いろんなところで視座が落ちてるのかもしれません。
全然話は違うんですが、こういう時に「視座が落ちてるって思う自分がいることを視座が高いと思ってない?自意識過剰じゃない?」みたいな、三人称視点の自分がいきなりひょこっと出てくるのがとても悩みどころ。この三人称視点の自分を否定することもできなくて、日々疑心暗鬼で過ごしているこの頃です。そいつがいるおかげで自分を日々疑い続けられている訳ですが、別に時々消えてくれてもいいのにね。
③病気(?)と病気じゃないことのはざま
わたしADHD持ち(精神科診断済み、通院中)なんですが、こいつとの付き合い方がいまだに正直わからない。ちなみにそろそろ診断が降りて1年が経ちます、ハッピーアニバーサリー(❓)
自分の特性がわかりきってないところもあるのかもしれないけど、特にどこまでADHDであることを理由にできるのか、していいのかみたいなところ。
ADHDってスペクトラムなのである/ないで区切れなくて、健常/グレーゾーン(傾向が高い)/発達障害 みたいな1-100%の中の相対性みたいなところがあるんですよね。(自分がどこぐらいに位置しているのか知らないことに今気づいたので今度の通院で聞いてみようかな)
ありったけのメモをすることとかでなんとか付き合ってはいたけれど、最近先見性の弱さとか指示出しの粒度とかに薄々甘さが垣間見えるようになってきていて。ときどき「いや私にそれを求めないで…どうやってもできないから…」と言いたくなる口を覆っています。それを理由にjudgeはされたくないけど、何かできないことがあったときにそれを理由にしそうになる弱い自分と立ち向かうことと、それと同時に本当にだめなときにSOSを上げる自分も認めることを今後の目標にいれようかなと思います(見直したら過去の自分が前の記事にちゃんと明記してた)。
でも、本当にどうやっても苦手なことを「私ADHDだからこれ苦手」で片付けることにも途方もない違和感を感じています。そんな万能カードとして扱われていいんだったっけ。
これも別の話ですが、ADHDの脳内でいかにずっと頭の中で声がしているかを説明しているリールがありました。その動画のコメントの中で薬物治療しているであろう方が「薬飲み始めてから本当に頭がスッキリしてきて、体が勝手に動くようになった」って書いていて、自分の生活の一部すぎていた脳内での自分の声との戦いと、全て行動する前に覚悟を決めないと動き出せなかったことは当たり前じゃないんだ?ということに衝撃を受けました。当たり前を疑うって大切だね。
あとまた全然違う話ですが、自分を嫌うことってすごく簡単だということに気づきました。それって内省の結果でもなんでもなく、自分のここ嫌いって言ってセンチメンタルな気分になって、落ち込んでいることにある種のcomfortを覚えすぎてしまっていて、そこから抜け出せないだけなんじゃないかな。ある意味マゾみたいな。これを朝4時に執筆してまた自分の1日を潰した、ああだめな自分、といって落ち込むことに自分もまた安心を覚えている気がします。それをしてまで何かをしている自分に酔っているのかもしれません。なにはともあれカッコ悪すぎるよ。
みたいなことを書き殴ったところで、寝ようと思います。
睡眠サイクルが終わりすぎていて目のくまがどうしようもないです。
明後日振袖で撮影なのに!ばか!鬼ほどパックしてから寝なきゃ!