季節はそして春だった
仙台は特別な場所だ。
手放すことを選んだ、長年の関係性の呪縛を解いた一昨年の十月から、一年が経った去年。
今日と同じ仙台の会場で真夏の卒業式を聴いて、憑き物が取れたように感じた。
本当の意味で肯定が出来た。あれからあっという間に半年、気付いたら経っていたようだ。
四月。
春は好きだけど感傷が強くて少し苦手だ。
そんな季節にまた、同じ会場で、目の前で靖子ちゃんが真夏の卒業式を歌ってくれた。
生きている文脈、それぞれの理論。
電子回線の様に入り組んで複雑な、目に見えない無数の整然と折り重なった、両方向のあるいは片一方の矢印を掻い潜ってどうにかここまで来た。
日々幸せ過ぎて天才だし、毎日面白おかしく送っている。
まるでボーナスステージの様な日だ。
ここまで生きて、また音楽で待ち合わせをしたね。
言えないこと、言っても仕方がないこと、本当は言いたい、とか言う口に出した瞬間嘘になる「本当」。
言葉は後、人間が先。
言葉は下、感情が上。
ねぇわたしたちが生まれた瞬間に言葉はなくて、全部全部後からついてきた。
だったら言葉なんかで言い表せることに何の意味があるだろうか。
不文律の世界線で今日もあなたを愛している。
超歌手大森靖子の超一方的完全勝利を毎日読んでいる。
誰にでも平等な時間を生きている人に改めて気付かされる思いだ。
ロックスター、天才、カリスマ。
彼岸に喩える瞬間に切り離してしまった思い違い。
生きて、懊悩して、だらっとしたり愚痴ったり。現実を生きる姿にわたしたち、同じ七年を重ねたんだねと独りごちる。
あの時あの瞬間、こんな風に感じていたんだね。答え合わせをしている様な、新しく出会い直す様な、そんな気持ちだ。
どんなに過去に立ち帰ろうとしてもわたしは毎日分裂を繰り返すし、更新される細胞は30日も経てば新しいわたしに生まれ変わる。
朝目覚めることに絶望した頃はもう遠く、今日なんて、やばい!お寿司の待ち合わせに間に合わない!起きるわよ!(友人の口真似)と、愉快に一日を始めた。
誰かに言われる無責任な言葉より実感を持って、わたしという生命体は完全勝利を迎えている。
いつかなんて大きなお世話は一ミリも要らないから、ただ待ち合わせが出来た今日を嬉しく思う。
おかえり、また会えたね。
ただいま、さぁ始めよう。
スピードを緩めた東北新幹線、生きている身体、垂直に立つ歴史、その美しさ。
息絶える矢印が身勝手なものだとしても、ただこの瞬間が愛おしい。
明日を戦うためのセーブポイント。
音楽で待ち合わせをした、季節はそして春だった。