『お手紙』のテーマ 友情だけにあらず ちょっとだけ見つめ直してみようかなと
最近、といってももう5年ぐらいになるが、ドラマを昔ほど見なくなった。
テレビ離れが強く言われて久しくなるが、そのせいだけではないような気がしている。
次回まで待てない自分がいるのだ。
昔は、待った。待つしか方法がなかったから。ビデオ(VHS)に録画もしたが、映像はきれいではなかったし、使い方も便利なものではなかった。
録画予約は時間取りできるようになったのだが、ナイターが延長するともうアウト。昨今は取りたい番組がきちんと録れるようになっているが、ビデオの時代はそうはいかない。半分はナイター(しかも途中で終わり)、残りの半分がドラマの前半戦。肝心のラストが見られないというなんとももどかしい録画だった。
だから、見たいドラマはどれだけ来週が気になっても待つしかなく、待つ楽しみを強制させられていた分、期待度マックスでテレビの前で座って準備をしていた。
今ほどやることが多くなかったとき(もう20年も前か!?)は、確かに夜は自宅にいた。自宅にいて、ご飯食べたり食器を洗ったりしているが、その時にテレビは付いていた。今ほど大きなテレビではない、ブラウン管のテレビが、消えているとき=自宅にいないとき、というぐらいテレビは付いていた。
トレンディと言われるドラマも毎回見ていた。HEROも毎週オンタイムで見ていた。
当時は見逃したらもう見る手段がなかった。見ることを失念したら誰か近くの仲間に「ビデオ撮った?」と聞いて回り、VHSテープを学校(または職場)に持ってきてもらってなんとか見たものだった。
今は見逃しても配信で見られるので、なんとも便利だ。
そのせいか、今は昔ほどテレビの話題が職場で上らない。誰も見逃さなくなっているからだろうか。
いや、私自身はそんな配信サービスを利用したことはない。
では、なぜ見ないのか。
うーん。
やっぱり歳をとったのかなあ。
確かにとても魅力的なドラマは存在する。
このnoteにも書いたが野木亜紀子さんの脚本は本当にすばらしい。miu404は毎週楽しみにしていた。そんなドラマもあるのだ。だがしかし。
やっぱり待てない。楽しみすぎるのもあるし、待ちきれないのもある。そして、正直なところ一週間という期間を過ごすうちに興味が薄れてしまうのもある。
これは、確実に環境の変化のせいもあるだろう。
スマホがあれば何でもできる時代。テレビよりもおもしろいコンテンツは山のように存在している。娯楽の中心がテレビだったときは、他に楽しみにできたものが今よりも少なかった。
娯楽の中心がテレビでなくなったのと同時に、人の興味も多岐にわたるようになった。
だから、薄れていく。興味が。
小学2年生の国語の教科書に、『お手紙』というお話が載っている。がまくんとかえるくん、そして、たまにかたつむりくんの出てくるお話。とても読みやすくほんわかした友情のお話だが、そのお話のもう一つのテーマに“待つ楽しみ”というのがある。
自分が書いたお手紙を一緒に待つ(ネタバレを防ぎたいので詳細は割愛します)という、一見するとおかしな展開の中に隠された友情。そこにある、待つ楽しみを共有する二人とそれに協力する一人(正確には一匹)。
今は待たなくて済む時代。どんなことでもスピードが求められて、速いものが良いものだという認識が強い。
スローライフなんて言葉が使われ出したのも納得。私たちは、便利さと引き換えにして、大きな楽しみを見失っていることに気づかされたような気がした。
速い=便利。これに助けられたことが何度もあるのは事実。
しかし、“便利”なのと“人の楽しみ”とは、全てがイコールではないことを、少しだけ見つめ直してみようかなんて思った。