授業が上手になるために 学ぶとはまねをすること(辞書にもそう書いてある)
見せてあげてほしい
昨今、教員の多忙化がいろんなところで言われるようになった。それがたくさん叫ばれて、現場の必要のない物が削がれていってほしいと思う。まだまだ実際の現場はそうなっていないのだが……。
初任者研修というのものがある。
一日でも早く新任の先生が担任として独り立ちできるようにと、現場を離れて遠くまで偉い先生の話を聞きに行ったり、レポートや指導案を書いて見せたりするモノである。子どもと一緒に過ごす時間を削って、書いたり聞いたりするという、よくわからない研修が毎週行われている。現在ではなくなったが、宿泊研修というお泊まりの研修や、洋上研修という船で延々と旅行しながら研修するというモノまであった。新任の先生一人当たり200万円ぐらいの予算がかかっていた時期もあるという。まさに時間とお金の○○使い……。
ご想像の通り、初任者研修を終えて完全に独り立ちできるようになるかというと、そんなに現場は甘くない。子ども一人一人の心を掴むには、教室に立つしかない。授業が上達するには授業をするしかない。
研修は少し減ったようだ。が、肝心の授業が上達しない。なぜだ。
どうやら、減らして欲しいものがへらず、減らしてほしくなかったモノがなくなってしまったようだ。
特に、授業は良いモノを見せてもらって、それを真似するのが早い。学年も違えば学習内容も違う。だが、口調や抑揚の付け方、立ち位置、板書、目線、表情……真似すると良いモノはすぐそこにあるはず。まずは、それを見せてあげてほしい。どこを見てどんな口調で何を伝えているのか。それを見るだけでも全然違う。
“良い授業とはこういうモノ”という共通のイメージを持てなければ、いくら言葉で教えてもらっても具体をイメージできない。
その後、授業を見てもらってアドバイスをもらった方が断然わかりやすい。ためになる忠告は聞くのはつらいこともあるが、できていないことを自覚させるためには、目指す良いモノが共有できている必要がある。
そこを目指すための忠告であることをお互いに理解して意見を交換したい。
なぜこの時間を削って、指導案やレポートを書かせる時間を確保したのだろうか。紙は答えてくれないし、イメージを共有できることもない。
まさか、良い授業を見せてあげられる人がいないのかな!?
まずは見せてあげてほしい。良いイメージを共有しよう。
話はそこからで十分だ。