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温度差

いや、勉強はしたいと思っているのですよ。
でも、それじゃないんだよ。

職場では、執行された予算を使い切らなければならないのか、急ピッチで“勉強会”が予定され始めた。今まで、コロナのせいにしてやってこなかったものを急激にやり始めた結果、毎週のように学習会という名の押しつけられた自主勉強会がある。予算なんて、来年度に回せないのか。そんな議論は公的な機関では、もう誰もしない。できないのがわかっているからだ。貯めに貯めてビッグゲストを読んでもらえたら嬉しいのだが、人の入れ替わりのある職場では、そうも言ってられないのもわかる。(わかると言うだけで、賛成はしない。)

いや、向上心はあるのですよ。
学びたい意欲もあるんですよ。
でも。
今じゃないんです!

年がら年中忙しい仕事ではあるが、その中でも特に忙しいのが4月だ。もうこれは、他と比較にならない。子どもの顔が見えないという、自分がなぜこの職業をしているのかわからなくなる現象が起こる。その中で山のような仕事が降って湧いてくる。湧いてきてもお金は湧いてこない。
次に忙しいのが、この年末だ。

処理しなければならないことに加え、人生が決まる選択に立ち会う。
受験。
こればっかりは、いい加減にはできない。形はどうでも良いから出しておけば良いというような書類の類いにもならない。

そんな中で、意味のわからない学習会が計画され実行される。
それ、今、誰が聞きたいの?

勉強とは、必要性に駆られたときに最大限の効力を発揮する。簡単に言ってしまえば、意欲という言葉になるが、この意欲が本気度マックスになったとき、人の向上心は無限大だ。
例えば、ゲームの攻略法や裏技について考えてみる。何としてでもこのゲームをクリアしたい。このゲームの裏技を試してみたい。そんなときの学ぶ意欲は、もう本当に計り知れない。全集中して教えてもらおうとする(あるいは調べたページを食い入るように見る)だろう。大事なことを落とさずにメモしながら聞くだろう。そして、達成感を味わうことになるだろう。これが勉強だ。
また、困ったときにもまた、学ぶ意欲は高まる。
例えば、このアプリの使い方を知りたいとか、プレゼンソフトや文章入力ソフトなどで、イメージ通りのファイルを作成したいときとか。
自分で調べながら問題を解決していくときのそれは、ものすごく大きなエネルギーだ。

押しつけられている気がしてしまう勉強会は、どうしても意欲が高まらない。意欲のない学習ほど、時間が無駄に過ぎゆくものはない。なんともったいない時間の使い方か。

どうか、現場が今何を求めているのかを感じてほしい。
新しいものを紹介してくれようとしてくれるのはありがたい。しかし、そこに意欲はあるのかどうかは、その学習効果を大きくするためにも必要不可欠な事項のはずだ。

だが。
今日も、現職教育は開催されるようだ。
子どもの顔が見えないそれが。

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