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13年前の育児日記 ちょっと番外編 出産 制度だけ確立されても意味がない

「番外編① 出産」などと題名をうっておいているが、男性である私は当然出産を経験することはできない。

(13年前の話だが)奥さんの出産に立ち会う旦那さんが増えていることも事実だ。私は理由があって分娩室に入ることはなかったが、条件が整い、妻の許しがあれば立ち会ってみたいとも思っている。(しかし、私は非常に痛みに弱い人間であり、卒倒するかもしれないのでよく考えてから行動に移さなければとも思う。あんな忙しいときに、倒れた旦那になんかかまっている暇ないからね。倒れるなら分娩室に入っちゃダメだよね。と妻からアドバイスをいただいている。)

私たち男性は、出産に対して「応援」することしかできないいわば無力な立場の人種なのだ。

で、何が言いたいかというと、出産はすばらしいものだとか、旦那はできる限り立ち会うべきだとか、女性を尊敬しなさいとか、そういった類なことではない。

(13年前)最近気になるニュースがたて続いた。
ひとつは、大野病院の医師が無罪になったニュース。
もうひとつは、妊婦が救急車で運ばれる際、受け入れ病院がなかったというニュース。どちらも、結果として妊婦さんが亡くなったという、なんとも悔しくやりきれないニュースだ。

出産難民ということばを聞いたことがあるだろう。
妊娠をしたら、もちろんお医者さんに行くと思う。実際、つい先日も親しい友人から妊娠の報告があり、本当に嬉しく思ったものだ。受信した病院の帰りに即座に連絡をくれた。大きさまで教えてくれた。そこは、分娩まで面倒を見てくれるらしい。良かった良かった。
良かったと思えるのは、出産難民という言葉が絡んでいる。そう、出産難民とは、検診はしてくれるが、分娩はしていないという産婦人科が増えてきており、自分が希望する病院で出産ができない可能性があるということだ。

私の家の近くの産婦人科も、以前は入院し出産し、という病院であったが「○○レディースクリニック」と名前を変え、分娩をやめてしまった。私の妻も、検診はそこでしてもらっていたが、分娩はいわゆる里帰り出産で、実家の近くの病院でお産をみてもらった。私の家の近くの医院がお産までおこなわなくなった理由は、院長先生が年を重ね、体力的にも分娩を行うことが大変になったから、ということを耳にした。
たしかに、とても良い先生だが、年齢的にはだいぶ高齢だろうとも思う。しかし、難民なんてことばが使われているくらい、全国的に分娩を行わない病院が増えている。理由は医師が「高齢になった」からだけなのだろうか。現実的に、産婦人科医だけなく、小児科医、麻酔医の医師が減っている。

命。

「出産は安全なものである」か?

私は決してそんなことはないと思っている。
医療技術は格段の進歩を遂げている。今も猛烈に進歩し続けていることだろう。そういう報道やテレビ番組、コミック、それらを目にすることは多い。
が、現実的には命というものはそんなに簡単な話で片付けられるものではない。

言いたいことはひとつ。
出産というものは、そんなに安全なものでは決してないはずだ、ということだ。
妊娠して、無事にお腹の中ですくすくと子どもが育ち、無事に出産する。
一行に書けてしまうこの出来事の中に、どれほどの中身があるか。
不妊に悩む人がいる。
妊娠しても無事に産めなかった人がいる。
出産の際、助からなかった命がある。
そういう現実があるということ。

懸命に手を尽くしても、助からなかった命。

さて、ニュースの話。
大野病院の医師は、無罪が確定した。
病院をたらい回しにされて死亡した妊婦の裁判はこれから。

たしかに、この日本のお医者さんの中には、昔の情熱を忘れ(あるいは元々情熱なんかなかった!?)た人もいるようだ。いい加減な手術や見立てのために命を縮めてしまった人は怒って当たり前である。耳にするだけでも許せないって思うような話だ。

しかし、そんな医師ばかりのはずがない。
患者を殺して平気な医者がいるはずがない(と信じてる)。
命の重さを感じ、懸命の手を尽くすお医者さんたちの方が多いに決まっている。(と信じたい!)

そんなお医者さんが、手を尽くして、命を助けられず、訴えられて、裁判にかけられる。
マスコミにいいように叩かれて、あることないことを報道される。
刑事訴追されて、医師免許剥奪されて、社会的信用もなくし、批判を浴びる。

先日は、忙しくても人員の補充もされず、うつ病のような状態にもなり、自殺してしまった小児科医の先生のニュースも話題になった。

医師不足は深刻な問題のようだ。医師って、国家試験を通ってから研修などを積み、専門医になっていく(んだよね?)。それから、自分が好きな科を選んでいくわけだ。

全力で手を尽くしてもどうしようもできないときがあるのだろう。
もし、意志の弱い私が医者になれたならば、命に関わる深刻な状況に陥る可能性の低い科を選んじゃうかもしれない。

この問題に対しては、いろんな角度から論議することができるだろう。日本医師会とか、政府の政策とか。
医療過誤に対してだったり、医師に対しての報酬だったり。

では、出産するということに対して、医師でも政治家でもない私たちができることは何だろう。

現実、校長の中には、校長室に女性職員が妊娠を伝えに行くと、あからさまに嫌な顔をする人がいる(らしい)。信じられない。正直許せない。
それで、女性職員は、出産準備休暇とか、産休、育休なんかも取りにくく感じてしまう。そして、無理をして働いてしまう人もいる。(ぜひがんばって、胸を張って休んでほしい!いや、がんばるってのも変な話だが。)

校長という立場を察するなら、新しい講師を探さなきゃいけないし、授業に穴が空いたりするのは嬉しくはないだろう。もしかしたら保護者や地域の人物から何か言われるのかもしれない。(そんなことは思いたくないが……。)
では、校長以外の立場の人間はどうか。
例えば、隣のクラスの先生が妊娠した。今日は体調が良くない。学校をお休みした。みんなでその先生のフォローをする。代わりに授業に行ったり、S.T.に行ったり。
当然空き時間は減る。自分の仕事は進まない。仕事は増える。

だからどないやっちゅうねん!!!

そんなもん当たり前の話ちゃうんかい!自分だってそうやって授けてもらった命じゃないのか!?いろんな人に助けられ支えられてきた命じゃないのか。一人で生きてきた人間がこの世の中にいるものか。一人じゃ生まれて来られんわい!!!

ふう。
ずっと書いてきていることだし、思い続けていること。
育休を取って余計に感じたこと。
「制度だけ確立されても何の意味もない」

出産というものは決して安全なものではない。
私の妻も、今だから話せるが、切迫流産の危険があり、救急車で運ばれ夜中の3時頃まで病院で看病を受けた。(ちなみに、そのときの妻の職場の上司の対応はとんでもないもので、私の職場の人たちに話したら、全員が信じられん!と口を揃えた……)
「○○レディースクリニック」の先生に、「安定期なんてものはないんじゃい!」と笑顔で怒られた。
ほんと、今だから言えるんだ。

女の人にしかわからないって言われたらそこまで。妊娠をしたことに対しての、職場のサポートのなさや、そのプレッシャーに関しては。

じゃあ私には何ができるか。
(正義の味方を気取っているわけでは絶対にない。)
妊娠した女性職員のフォローはみんなでやれば良い。みんなで手分けすれば何とかなるし。
その女性の職員が、「休んで当たり前でしょ」なんてつんけんした態度だったら、それはそれで周りも困ると思うけど、そんなことは現実的にないに等しい。
お医者さんのニュースと一緒。患者を殺して平気な医者がいるはずない。
例えば教員であって、担任や部活の顧問をもっていたり、授業を任されていたら、「一年間最後まで担任や授業ができなくて申し訳ない」とか「突然授業をなくしてしまってすまない」などということは、責任感のある教員としてあたりまえの感情だ。何より、なりたくてなった教員を休まなければならないことに対して、「(休んで)当たり前でしょ」なんて思うはずない。当たり前なのだが、そこに感謝の気持ちがある。

制度だけではダメなんだよな。
理解がなくちゃ。
理解ってのは、経験から生まれるはずだが、経験からしか生まれないのではいけない。理解しようとする努力がなくちゃ。想像力をもたなきゃ。

無理して働くことが、胎児に良いはずがない。
大先輩の女性の先生に「奥さんが眉間にしわよせて働いていたら、子どもは眉間にしわよせて生まれてくるよ!」と言われてハッとした。そうだよね。お腹の中の子どもが、お母さんの気持ちがわからないはずがないもの。
いやだよ。自分の子どもが眉間にしわを寄せて生まれてきたら……。

辛いときには気兼ねなく休める雰囲気。
そして、産休と育休が明けたら、また、気分良く働ける雰囲気。
何より、新たな生命の誕生を、みんなでお祝いできる雰囲気。
そんな雰囲気をつくりたい。


そんな雰囲気のある職場や社会になってほしいなあ。

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ゆりてる
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