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反抗期とはそういう意味だったのか 辞書に載せてください

先日、スキをしていただいた方の記事を読んでいて、スッと心に落ちた言葉があった。スキをしていただいた記事は、マガジンの『育児日記』の中の『13年前の育児日記⑪』だった。

スキをしていただいた、“コンばぁ@メディア運営の中の人”さんのnoteを拝見すると、なるほどと思う記事ばかり。そして、中でもこの記事の言葉が今の私にスッと落ちたのだ。

反抗期、会社にとっても大きな力になってくることもある。
反抗期は自立とも言えるため自立したスタッフさんが増えるのは良いことだ。

反抗期というと大げさなのかもしれないが、我が職場には“反抗期”の人が皆無だ。イエスマンイエスマンイエスマン……。右を見ても左を見てもイエスマンばかり、だから、私は上を見るか下を見て休憩をする。

なぜうちの職場の上司は、コンばぁ@さんのように考えられないのだろうか。反抗期とは自立とも言えるとなぜ思えないのか。
うちの職場は、本当に人が育っていない。それがなぜなのかよくわかった。育つということは考えるということ。自分で感じ自分で考える。そうでなければ育たない。
そうか、考えさせる機会を奪っているのだ。時に不必要とさえ思えるような仕事を与え、型にはめて考えることをさせない。考える機会と時間を奪う。自立させようとする気がないのだ。

皮肉な言い方だが、腑に落ちた。

忘れてはいけないのは、我が職場のメインの仕事は【人を育てる】というところ。
自立した人を育てる。それが一番の仕事。
なんだか本末転倒な気がしてきた。上司の顔色ばかりをうかがって、目の前の人の目を見ていない。
上司は、それで人が育つ、あるいは人が育てられると、本気で思っているのだろうか。

反抗期とは何だかわからない力が溢れてくる

とも記事にはあった。

考えるのをやめない。
立ち止まるときがあっても、また考え始めよう。

溢れる力を感じよう。

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