災害とは、目に見える被害だけを生むものではない
台風で屋根が飛んだことがある。
その月は雨が多くて本当に大変だった。台風という自然災害は、当然のことながらうちだけに被害をもたらしたわけではない。
飛んだ屋根はテレビのアンテナを一緒に持っていった。そのテレビのアンテナが新しいものに変わったのは、それから2週間後のことだった。その台風の大きさは想定外もので、多くの家が被害に遭った。テレビのアンテナの部品も調達するのに遅れが出たから2週間かかった。
屋根はもっとひどかった。きちんとした屋根がついたのは一ヶ月後のことだった。
その間、家の中に雨は降りっぱなし。多くのものにカビが生えた。天井にまで。守れるものは守ったつもりだが、全てのものを守ることはできなかった。
中には大切にしたいものもあった。が、どうにもできなかった。資材もないから工事もできない。手をこまねいてみているしかなかった。
無力だった。
遠くの親戚より近くの他人。
隣の家の人が、飛んだ屋根や資材、木材を一緒に集めてくれた。涙が出る思いだった。多分うちの屋根が飛ばした木材で傷ついた隣の家の人の車に関しても、「そんなのわからないよ。気にしなくていいよ。」と。屋根が飛ばされて途方に暮れている私は、その温かさに救われた。
集めた木材などのがれきの山はトラック一杯分にはなっただろうか。少し遠くの人までも、ゴミ収集所と勘違いしたのか、がれきを持ってきた。そういうふりをして、ゴミを持ってきた人もいた。私は、どうせ捨てるのだからと知らない人が持ってきたゴミも置いていってもらった。
「お宅のものです!」と言い切って置いていった人もいた。散乱するがれきに名前など書いてない。それを否定する元気もなかった。
災害は人の本音を教えてくれる。
今のコロナ禍も似たようなものか。コロナ禍は試金石のようなものになっている。日本の道徳が問われている。
幸いなことに近しい人にケガ人はいなかった。
それが何よりであることは今痛感する。
その時はそれを感じる余裕はなかった。なぜうちだけ屋根が。なぜうちだけ……。
お宅のがれきが飛んでうちの車が傷ついたって言いに来る人もいた。その時は、またしても隣の人がそんなところまでは飛んでいないと思うよ。一緒に拾いに行ったから、とかばってくれた。人の本性に追い込まれ、人の本性に救われた。
災害とは、目に見える被害だけを生むものではない。
目に見えない被害は必ずある。法が整備されていないことも痛切に感じる。
今回の台風の被害が最小限であることを心から願うばかりだ。