牡牛座・蠍座軸
牡牛座か蠍座がステリウムの場合、2ハウスか8ハウスが強調されている場合、さらにドラゴンヘッドとテイルが牡牛座・蠍座軸にある場合。牡牛座・蠍座軸の深い学びは必須科目であり、重要なテーマです。
蠍座は地下の富であり感情的エネルギー。一体化しようとする宇宙的セクシャリティの力、生と死の循環サイクル、因果応報の責任を受け入れる力、犠牲と再生のエネルギー・・・
牡牛座は地上の富であり物質的エネルギー。価値と生命感覚に根ざした具現化の力、冬を耐える忍耐力に支えられた豊潤なエネルギー、地球の自然と美しさに共鳴するエネルギー・・・
交尾の際にカマキリのメスがオスを食い殺す場合には蠍座のエネルギーが働いています。犠牲となった(エネルギー化した)オスが持っている全てのエッセンスが、今度は新しい生命としてフレッシュに地上に誕生してくる。死んで全体に吸収されたオスの命が牡牛座のエネルギーとなって、地上の豊かさ=新しい命として再生してくる。
満開の桜が散りゆく時には蠍座のエネルギーが働いています。美しくこの世に具現化した花びらたちが再び大地に溶けては消えていく。やがて次の春に盛大に咲き誇る時、蠍座(死・地下のエネルギー)は牡牛座(実り・地上のエネルギー)として再生しているのです。
これが牡牛座と蠍座の循環であり、ふたつはワンセットです。目に見えない精神的なエネルギーが目に見える物質的なエネルギーを生み出していく。つまり、死と再生の循環、男性エネルギーと女性エネルギーが一体化することで、あらゆる地上の恵みが生まれているのです。だからこそ、蠍座的エネルギーがお金や実り(物質的豊かさ)を生み出していると言えます。
蠍座は何か一つのことに集中するエネルギーでもあります。人やものごとに対して一心に打ち込む、惚れ込む、情愛を注ぐ。自分と対象物が溶け合い一体化するくらいにエネルギーを注ぎ込む。目には見えないけれども、確かに物量として存在するその意識エネルギーが、お金や財や実り(見える地上の豊かさ)として物質化していくのです。
魂が震えるほど好きなことを追求して、それだけで生計を立てることができる時、牡牛座・蠍座軸の統合を果たし、エネルギーを具現化(循環)していると言えます。(オタクな生き方は素晴らしいです!)パートナーを深く受け入れて一体化していくことで、富が生み出される時などもそうですね。
嘘ではないその人独自のエネルギー(情愛・愛情・熱意・深い喜び・全体への犠牲と言えるほどの精神)を注いだ結果、金銭や物質という対価が生まれるのが本当の豊かさの法則です。資産運用とかお金に愛される方法などは「初めからお金を目的とした行為」であり、「その人の生きる価値や喜びの表現・新しい価値観と息吹を生み出すことを純粋な目的としていない」ので、ほとんどの場合、それは本当に実のある形としては残らないわけです。
「お金を目的としたお金儲け」は生命の本質的エネルギーでなくオプションのようなものです。(それも別に悪いことではありませんよ)ゆえに蠍座と牡牛座の循環が行われていないものは、一時的に恩恵を受けることはできても、大変に脆いものになってしまいます。これは全ての軸に言えることなのですが、180度は統合することが最終目的です。極と極を統合して一体化させる時、それは完成します。
あらゆる軸を統合していくことはかなり難易度の高いことです。それができないからこそ、私たちは肉体を持った地上の人生を何度も体験しているとも言えます。ドラゴンヘッド&ドラゴンテイルは必ず180度関係ですから、二つを統合することが目的です。たとえば、ヘッドが牡牛座・テイルが蠍座にあったとします。過去で体得した蠍座的遺産を、今世では反対の牡牛座的方向性で開花させていくことが魂の目的です。
その方の魂は今世、この軸に関する体験と学びを切望しています。さらに、ヘッド&テイルのハウスも関連した軸にある場合、牡牛座・蠍座軸の学びを非常に長い時間をかけて繰り返している魂である可能性が高いです。(だからこそ今回の人生は大チャンスでもあります)たとえばヘッド&テイルが牡羊座・天秤座軸にあり、さらに1ハウス・7ハウス軸にある場合、ヘッド&テイルが獅子座・水瓶座軸にあり、さらに5ハウス・11ハウス軸にある場合などです。
サインとハウスの両方が関連した軸にあるということは、まさにその軸のテーマの統合と調和を魂が目的としているわけですね。牡牛座・蠍座軸にヘッド&テイルがあり、さらに2ハウスと8ハウスにある場合ですと、精神や情愛だけ、金銭や豊かさだけの「どちらかの極に偏った人生」を多く経験しています。今世ではその二つともが満たされた状態=牡牛座と蠍座の循環を達成したいのです。
お金や生活の保障自体を目的とした生き方でもなく、物質性度外視の情愛や情念だけの生き方でもない。さらにハウスが2と8の軸にある場合、自由か保障か、個人的価値観の尊重か共同体(パートナーと生きる道)かというテーマも学びに含まれているでしょう。このような配置があれば、(私個人の考えに過ぎませんが)人を愛し誰かと深く一体化して生きていく道を選んだ方が、結果的に実り多い人生となると思います。あるいは何かに深く打ち込む、オタク道を邁進してその成果と喜びを世に広める生き方も重要です。