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不幸自慢・運命論はいらない

先日、私とほとんど同じ出生図を持つクライアント様との出会いがありました。誕生日は二日違いですが、出生時刻がほぼ同じなので、全てのカスプが同じです。アングルは度数までもがほぼ同じと言えます。違うのは太陽と月のハウスのみです。それでも、アスペクトの強弱などに多少の違いが出てきます。



ここまで同一のホロスコープを持っているならば、さぞ似たような人生を歩んでいるのだろうと思うかもしれませんが、実際は全く違います。それでも、内面的に似たところはたくさんあり、お話が弾むとても楽しい時間を過ごすことができました。



同一の地域で同時刻に生まれる赤ちゃんは複数います。その人たちが同じ人生を歩むことはありえないと思います。また、双子でほぼ同一のホロスコープを持っていても、全く違う人生になることは珍しくはありません。むしろ同じ人生になる方がありえないと思います。それはなぜか。



占星術には天体>サイン>ハウスという強弱関係があり、主役は天体なんです。天体とは意識であり、自由意思です。そして、天体=意識の使い方は十人十色で千差万別だからです。それは如何様にも変化させることができます。だからこそ、占星術を運命論と捉えてしまうと本当に勿体無いのです。



星よりも運命よりも自由意志が上なんです。冥王星が太陽に対してハードだから、土星が厳しいから、海王星が・・・なんて、思い込むのは全くナンセンスです。そんな捉え方をするくらいならホロスコープを解読する必要はないと思います。それでは読んだところで、人生に何も活かせないからです。



私にはこんな意識の使い方の癖や行動の癖があるな、頑固な思い込みや逃げ癖があるなーーなら変えていこう、成長していこう、思い込みを解き放とうーーあるいは、私にはこんな才能や魅力があるな、こんな強みがあるな、ならばそれを精一杯伸ばしていこう、チャレンジしていこう!ーーそのような気づきや決意や勇気を得てこそ、占星術が生きてきます。



百歩譲って、たとえ運命が決まっていたとしても、それに意味を与えることができるのは私たち自身だけです。全知全能の神がいたとしても、私たち自身が、この地上で生き抜いた人生に絶対的意味や評価を与えることなんてできません。そんなもの、勝手に与えられてなるものですか。



私たちは目に見えるものに翻弄されます。家柄、経済状況、容姿、健康、肉体、能力・・・もっと美人だったら、もっと背が高かったら、もっと愛のある両親の下に生まれていたら、もっと健康や能力に恵まれていたら、もっと結婚に恵まれたなら・・・でも、そこに意識の焦点を当てていてもキリがありません。そんな非生産的で後ろ向きな考え方をいつやめるか、それらを生み出している「意識」の方にいつシフトするか、です。



目に見えるものは目に見えないものが生み出しています。自分の人生を良くしたいなら、自分でそうしたらいいだけです。それはたった今からできるのです。目に見えるものにこだわることは、よく考えてみると本末転倒です。それよりも、この私として生まれてきて、この私として最高の人生を送るために、精一杯、生き抜いたか、それが本当に大事なことです。そこに意識の焦点を当ててみると、必ず現実は整いますし、最善の結果に至るでしょう。



どうぞ星よりも運命よりも「自分自身」を下に置かないでください。どうせ私なんてとか、私のホロスコープはこんなに酷いからとか、そんな悲しいことを言わないでください。特別に素晴らしいホロスコープも特別に酷いホロスコープもありません。そんなものは一つもないです。どれも素晴らしいのです!自己卑下・不幸自慢はもっとも愚かなことだと思います。自分を全力で幸せにして、自分の夢を全力で叶えてあげましょう。

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