水瓶座は共通の理念やルールによって統率できない
先日、神戸を愛する人たちのSNSグループでのとある書き込みに怒りが湧いた・・・というエピソードを書いたのですが、その後、管理人さんから細かい規定が出されていました。「東灘区、中央区、西宮、芦屋以外は神戸ではない」(つまり華やかで高級感のあるエリア以外は神戸ではない)という投稿が少々炎上したことを受けて、「尼崎以外の阪神間を加え、それ以外の区も全て神戸と見なします」という項目も入っていましたw
管理人さんも大変ですよね。決まり事を全く作らないと統率が取れずに混乱するし、細かく決めすぎてもみんな息が詰まる。これは何番の規定に抵触するかもしれないなどと色々考えてから投稿するのも、正直興ざめです。営利目的でも何でもなく、ただ好きなことを好きに楽しみたいグループなわけですから。
当たり前ですが、たとえネット上であれ、人が集まる場所は全て社会なんですよね。人が二人以上集まるともう小さな社会です。夫婦も社会だし、家庭も一種の経営組織ですよね。きっと、地球上の「あらゆる小さな組織」では組織を構成する個々が自由でいられて、かつ全体として円滑に気持ちよく運営できる方法を探しているわけですね。
でも、これが大変に難しいっす!それにはセオリーがあるようでないからです。それぞれの組織の個々の構成員にもよります。そして、リーダーの采配や目指す方向性にもよります。つまり絶対的な正解はない。人が二人以上集まる時、全体として分裂しないためには二つの方向性があると思うのです。
まず、あらかじめ何らかの理念や価値観や一定のルールを共有することで調和を図る方法。ここにはどうしても宗教的な要素、または道徳的な規範が入ってきます。さらに現実的な公平性。婚姻関係も社会的に守られた約束事であり外側からの規範です。そして、トップやグルがいる組織は全てこのタイプに該当します。というか、これまでの社会構造は全てこのやり方に入ります。(このやり方しか私たちは知らないんです)
そして、もうひとつが共通の理念や価値観やルールを持たない状態で「それぞれが自由でありながら、自然発生的に調和を図る方法」です。水瓶座時代(風の時代も)はここを目指していく時代です。決まりごとからはオールフリーであり、かつ秩序がある世界。この難易度の高い世界を実現するためには何が必要か。
私自身は社会でうまく立ち回れるような人間ではなく、割とポンコツなのですが、学生時代からのバイトも入れると、それなりの数の組織や会社に所属していたことになります。バイトであれ正社員であれ派遣であれ、どこの職場にいても人間同士の衝突や摩擦は必ずありました。その中で、たった一つだけ「働き易くて理想的だったなあ」と、思い出すと今でも感謝が湧いてくる職場にいたことがあります。
その職場の何が理想的だったか。それぞれの仕事の分担を義務と捉えず、お互いが黙ってフォローし合っていたことです。その中に一人だけ、やらないといけないことをやらず、何度注意されても同じ失敗を繰り返す人がいました。彼女と一緒に仕事をすると、必ずと言っていいほど「その尻拭い」をすることになります。下手をするとみんなが定時で帰れない状態に陥ります。でも、文句も言わず、みんなが黙ってそれを被っていました。
彼女は会社組織には適さない人ではありましたが、創造性や発想力に優れていました。そして、人間性が自由なので、こうあらねばならないというエネルギーがなくて、彼女がいてくれることで、みんなが楽な気持ちにもなれたんです。それに、一人一人の人間性が素晴らしかった。表裏がない。誰の悪口も言わない。自分だけがたくさん仕事をしていると文句を言う人もいない。
会社からの理不尽な要求に文句を言うより、どうすればそれをうまく現実の中で落とし込めるかを考える人の集まりでした。自分が重荷を背負うことを避けようとするあまり、先に個が権利を主張するということがなかったのです。みんなが会社や社会の中で求められている役割(提供できるサービスや価値を作り出すこと)を全うすることを大事にしていました。
取り立てた理念やルールらしきものもなかったけれど、私たちのセクションがやらねばならないことを共通の目的として、そのためだけに一人一人が自発的に動ける組織でした。
そこにはじめにあったのは理念やルールや就労規約ではありませんでした。一人一人の人間性だけがありました。相手を尊重する姿勢、誰の個性も殺さないで生かそうとする思い、お互いがお互いを生かし合おう、助け合おうとする姿勢だけがありました。そこから共通の目的という調和や見えない指針が生まれていたんです。(山羊座的社会とは逆パターンです)
水瓶座時代の自立と多様性を考える時、いつもその時のあり方を思い出します。共通の宗教的・道徳的理念や現実的な細かい規則を軸として、多種多様な人間を統治していく時代には、きっともう戻れないと思うのです。グルもトップもいらない。大事なことは一人一人の自立と自律。そして、意識の拡大です。
個の権利や安全や保証を守ろうとすればするほど、または、何か共通のもの(罰則めいたもの、○○ハラスメントなどの何処か脅しのようなもの)を中心に置いて縛ろうとすればするほど、反対側へと進んでいってしまうことを、すでに私たちは学んできたと思います。水瓶座時代が象徴する「誰も何も縛らない方向で調和が生まれる理想的あり方」ーーそこに向かって試行錯誤している私たちということなのでしょうね。
月の個人的感情世界にいつまでも拘っていても、それは決して到達できませんし、太陽の目的意識だけでも頭打ちになります。個々人があらゆる内的調和を図り、その上で全体の意図を理解する木星や土星的意識、そして、肉体を超えた外惑星の魂的意識を獲得していく。水瓶座時代は黄金時代と言われますが、それはまだ先のお話・・・
これから私たちが歩きだして行こうとしている次元は、結構、難易度の高い時代だと思います。でも、いつかそこにたどり着けることを夢見て、一歩一歩進んでいきたいですね。