水星のハイオクターブとしての天王星・知は何によって支えられているか
【兵庫県知事を刑事告発…なぜ?】告発者・郷原信郎vs否定的・福永活也…弁護士同士の激論【公職選挙法とは…
リハックの番組告知がネットニュースに上がっているのを見て、嬉しくなりました。オールドメディアを「けしからん!お前たちは悪だ!」とひたすら叩いてブチ壊すのではなくて、私たちの側からもっと良いものが生み出され、民衆のニーズがなくなることにより衰退していくーーこのようなソフト路線の改革が最も望ましいと思います。星というのはそのような「前置きを与える優しさ」を持っています。それでも古きものにしがみ付くのならば、痛みを伴う激しい強制終了を引き起こすだけです。
リハックのような媒体が生まれると、いよいよテレビや新聞の存在価値がマジでわかりませんデス。(マスコミは結論ありきで好き勝手、都合のいいことしか言わないもの)高橋さんのキャラクターもいい。公平でありながら、回し方が強すぎるw郷原さんもこの対談の場に出てきてくれたことに大きな意義があると感じました。
以下、対談を視聴した私個人の感想です。バリバリの偏った個人的主観ですのでご容赦ください。郷原さんはマスコミ経由で公に語った内容とリハックで語っている内容とに大きな矛盾点が目立ちました。公には「斎藤陣営は明らかに法的違反を犯しているから告発した」と明言されていましたが、番組内では「決定的な証拠はないが、疑義があれば誰にでも告発する権利がある。それを行使したまで」と主張されていました。(は❓ないんかーいw)
つまり、あくまで「(不正があれば)不正を正すため、(偽りがあれば)真実を明るみにするために告発した」ーーという(推定的な)主張です。でも、福永さんに突っ込まれると「警察はほとんどの告発は(正式には)受理しないもの。それは初めから承知していた。しかし、それは問題ではない」という旨のことを繰り返し仰っています。そんなに正義感が強い社会派であられるのなら、なぜ岩屋さんや財務省を告発しないのでしょうかw
告発・告訴を行うと、まず警察(または検察)から「決して他言しないでください」と言われるそうです。なぜなら、告発されたという事実が報道される(あるいは外部に漏れると)告発された側は先回りして、証拠隠滅や有利な画策が可能になるからです。そうなると捜査が難航しますし、事実の認定が難しくなります。(だからこそ、世の中に数多ある告発は基本的に報道されないのです)
ということは、告発した側である郷原氏が「自ら進んで告発した事実を発信して、世に広めていった」という行為の意味することが見えてきます。「確実な立件証拠はないので、斎藤陣営への告発は受理されないし、それによって事実が捜査されることもないし、そんなことは全く望んでいない」ーー初めからそう思っていた。(ということになりませんでしょうか)元検事でもいらっしゃるので、その後、どのような展開になるかは重々わかっていたはずです。
では、何のために告発したのかということです。法に抵触しているという明確な証拠を見つけたわけでもなく、さらには告発の受理も捜査も望んでいないのに、なぜマスコミ経由でこの情報を広めたのかーー斎藤陣営に対する一定のイメージ(あれが不正な手段を使った当選であり斎藤は悪である)を世論として作り出したいからーーそう判断されても仕方がありません。郷原さんは素人ではなく、司法のプロなのですから。
コメント欄にもありましたが『推定無罪であるべき人が、仮定有罪を行なっている』ことになります。「疑わしきは罰せず」と明示されている「法の倫理」はどうなるのでしょうか。私は法的なことはよくわかりません。でも、法律は人道的な心に支えられるべきだと強く思います。頭(知)だけを鍛えた人が法を扱うのは大変に恐ろしいことです。
国会中継の答弁や東大話法なるものと同じものを、郷原さんに感じました。私はアレをまともに聞いていられません。発狂しそうになるからです。それがどうにも耐え難い不愉快なものに感じられるのは、そこに人間らしい心を感じられないからです。尋ねられた核心とは異なることを繰り返し返答する。法律上の話や知識の話をしているのではなく、福永さんが最も伝えたかったのは「人間としてどうなんですか。あなたの本当の動機は純粋なものですか。司法に携わる者としての倫理はありますか」ということでしょう。
そこに愛はあるのか
司法試験に合格すると、弁護士になるか検事になるかを選ぶ権利は与えられますが、裁判官にはなれません。裁判官になるにはさらに条件(弁護士経験3年以上が必要等)が厳しくなります。それは、裁判官が「最終的に罪を裁く・真実を認定する・人命を左右する」だけの重すぎる権利を有するからですよね。
弁護側と検察側の両方の視点が必要になるということも勿論でしょうが、それ以前に「裁判官は優れた人格者であらねばならない」という意味が、元々は含まれていたはずです。六法全書に定められた「知」に血は通っていません。それはただの知です。それを使いこなすには血の通った熱いものが必要です。
それが人間の心であり、霊性です。人は誰かが話す言葉やその内容だけを読み取り、事実を判断するわけではないです。相手の表情、言葉にならない行間にあるもの、それまでの人と成り、生き様・・・五感で感じられるすべてのことやニュアンスや匂い、そして、第六感とも言える直感力を使って、球体としての人間や事実を読み取ろうとします。それでこそ血の通った人間でしょう。
風の時代は情報の時代ーーそれはしょうもない上っ面の話です。風は地に支えられています。誰もが安心して生きていける社会、飢えることも虐げられることもない差別的格差が生まれない社会、正直者がバカを見ない社会、誰もが物質的かつ文化的に生かされる社会ーーそうであってほしいという地の願いに支えられた風が本当の風です。極めて人間らしい血の通った知性が水瓶座時代の知です。
水瓶座の守護星・天王星は水星のハイオクターブです。ただ情報を扱い、法を扱い、知識を増やすことでは全くない。そこに「私たち」という人道的な愛と「永遠に・みんなが」という普遍性が存在してこそ、天王星の知になります。国がそう言うから、マスコミがそう言うから、マジョリティがそうだから・・・そんな無責任なことではなく、自分自身で事実を判断すること。
たとえば、ワクチンを推奨する存在が本当の悪なのではなく、(進化と逆の方向に進む力は決して無くなりません)大事な判断や人生そのものを自分以外のものに託してしまうことこそが「水瓶座時代的大いなる偽り」なのではないでしょうか。水瓶座時代の厳しさです。マインド・ハート、五感と直感の全てを使って「私の真実」を見つけて生きること。それが水星の上位次元に位置する天王星の知性です。霊性と愛のない知性なんていらないと思います。天に繋がる知性が天王星なのですから。