囚われの月は太陽の顔をしてやってくる
月と海王星は連動して働きます。魚座時代の2000年間とは「暴走する感情と非論理的思考」に引っ張られていた時代です。月は感情であり、海王星は妄想と曖昧さです。海王星の負の部分と月の感情暴発がセットになっています。魚座時代の混迷や自我の喪失の土台には、この二つの天体による誰もが逃れられない影響があるのです。
天王星の時代である水瓶座時代に必要なことは自立ですが、その前にまず、感情の客観視と全体的視野の獲得が求められます。感情に呑まれないことであり、感情のマスターになることです。春分点が水瓶座に移動するということは、火を見るより明らかに、月の時代は終わっていきます。なぜなら、囚われの月は「私たちが自分軸を見失い、暴発的感情に乗っ取られた状態にある時」しか、その真の働きを遂行できないからです。
なぜ、占星術が天王星の象意であり、一般的な占いやスピリチュアルが海王星の象意であるのか、それはこの違いにあります。天王星意識を確立した後でなければ、海王星意識を使いこなすことは難しいのです。海王星は芸術やアート、ホスピタリティ(細やかな慈愛の精神)を必要とする分野では使えますが、現状、スピリチュアルや占星術的分野で活かすには難易度が高すぎます。(使い手である私たちが月を超えていないからです)
囚われの月(欠損の月)とは感情を通して働きます。初動として現れてくる月の影響なんて可愛いものです。そんなものはさほど悪さをしません。それに気がついてさえいれば、むしろ、その人の個性や魅力となります。月蠍座の私がすぐに焦る姿も、他者から見ると微笑ましく映るようです。月牡羊座の人がすぐにカッとなるのも、とてもチャーミングで愛される素質です。月獅子座の人がすぐに自己アピールに走るのだって、微笑ましくユニークな個性です。
しかし、囚われの月の本当の恐ろしさはそんなことではないのです。月の思い込みと無意識の恐れが感情の暴発を伴い、現実をぶっ壊しにかかります。例えば、地の月星座(牡牛座・乙女座・山羊座)は物質的な囚われですが、すべての月の大元は恐れと自己防衛反応であり、それが感情を伴って働くのです。そして、月星座の顕わす事柄における思考力が7歳レベルで止まります。(ですので、火地風水の分類にあまり囚われない方が理解がすっきりします)
月牡牛座の人の根底には、この世界の豊かさ、美しさ、心地よさを享受できない、それが失われるのではないかという恐れがあります。だからこそ、却って、目に見えるお金や物や五感的喜びに拘ってしまいます。お金や経済的安定・物質的基盤を失ったらどうしようという恐れが暴走し、それを動機として行動を起こすと、すべてのお金や物や五感的喜びを失ってしまう可能性があるのです。
月乙女座の人の根底には、自分の役割や存在価値が本当はわからない、現実的に何をすればいいのかわからないという迷妄感があります。ゆえに、目の前の現実がグニャリと崩壊していくような混乱した恐れを感じやすくなります。だからこそ、何らかのトリガーによって細部(目の前の現実)が把握できなくなると、全体像がわからなくなります。そして、パニック状態でしっちゃかめっちゃかな行動をとり、「現実の崩壊・末期的混乱」が現象化するという可能性があるのです。
月山羊座の人の根底には、自分は社会で通用するほどの能力がない、自分は世界から必要とされず認めてもらえない存在であるという恐れがあります。だからこそ、権威や力、企業や組織、有名な人や後ろ盾に弱くなります。或いは、本当の成果や達成、成功や実益とは何かが見えなくなるのです。そして、自分自身の本当の想いを置き去りにしたまま、見栄や体裁、自己顕示欲、人から見た自分像に捉われるのです。そんな恐れを動機として起こした行動により、社会的キャリアと成果が崩れ去るという可能性を持っています。
つまり、すべての月の正体は「恐れ・強迫観念」です。自らの恐れの大元をはっきりと見定め、極めて注意深くいなければ、繰り返し、月の破滅を体験します。現実の崩壊を見る前に「気がつく」ことこそが重要です。月のラスボスはいつも太陽の顔をしてやってきます。それが本当の願いであるかのように、それが本当の自分であるかのように・・・
月に乗っ取られやすいのは自信を失っている時です。人生の手応えがなく方向性が定まらない時です。外側主体で恐れを埋めようとする時です。自分を肯定できない意識が大きい人ほど、月の意識にロックオンされます。つまり自己肯定感が要です。それがなければ本当の自分軸を持てないからです。
欠乏感と恐れから起こした行動はすべて囚われの月のなせる業です。下心のない純粋な喜びから起こした行動はすべて太陽のなせる業です。シンプルです。けれども「見定める・内観する」ことが難しいだけなのです。影でありシャドウである月は実体を持ちません。自ら輝く太陽を見つけていく旅が、地球人生なのです。