本当に「魚座時代」が完成しつつあるのだろうかという根本的疑問
占星術ではおなじみのプラトン年。これはニ万四千年周期の時代区分です。春分点の変化により、約二千年ごとに時代が移り変わるとされる、最も大きな時代区分のことです。それによると、現在は魚座時代の二千年を終え、水瓶座時代の二千年に入ろうとしている段階にあたります。
このプラトン年ですが、実際は誰も直接的に検証することができません。だって、二千年以上生きる人間はいないからですwだからこその矛盾と不確定さが存在しています。インド哲学では「ユガ」という概念があり、プラトン年とかぶります。それによると、現在はカリユガ(人間の意識や知性が最も最下層に落ち込む時代)であるとされます。生前、かのサイババも「現在はカリユガである」と明言していました。
しかし、おもしろいことに、ユガ的時代区分にも「時間的ズレ」が存在しています。進化占星術の神的存在・ジェフリー・グリーンに占星学を示唆したユクテスワという人物がいます。パラマハンサ・ヨガナンダのグルでもある彼によると、現在はカリユガを抜けて、ドワパラユガにあたるそうです。サイババ説とユクテスワ説には少なくても350年ほどのズレが存在することになります。
また、偶然にも松村潔さんが関連する内容を発信されていたので、びっくりしたのですが、アヤナムシャ(ayanamsha)とは、占星術における二種類の天文座標の間に生じる角度差で、トロピカル方式とサイデリアル方式の間の差異のことです。
占星術において、かつては春分点をある恒星の位置で固定していたサイデリアル方式が主流でした。しかし、地球の歳差運動により春分点にズレが生じることが判明したために太陽が黄経0度の位置にぴったり重なる地点に春分点を定めるトロピカル方式(毎年日時が変わる)が採用されるようになりました。両者の間には約30度のズレが生じます。二万四千年周期で考えると30度は一サイン分、ちょうど二千年ですね。
ということは、本当は山羊座の終わりから水瓶座に向かっているのに、魚座の終わりから水瓶座に入るという逆サイクルで解釈されるという、壮大な誤解が生まれることも不思議ではありません。もしくは、コントロールしたい存在によって意図的にそうされたかーーです。
松村潔さんの解説を加味すると、時代という時間の流れは一定のリズムで進むとは限らず、時空の歪みのようなもの、あるいは霊的なものが関わっているのかもしれません。どちらにせよ、すべての基準である春分点が正確に特定できないという事実が存在しており、矛盾や時間的ズレがあるということは何らかのミッシングリンクがあるはず、なのです。
とにかくw私には腑に落ちないことが二点あります。12星座はひとつ前のサインをアンチテーゼ(反面教師)にして、成長と進化を巡らせていきます。それなのに、プラトン年だけがなぜ逆サイクルなのかーーそして、本当に魚座が完成したと言えるのかーー
この疑問について、何人かの占星術家さんに質問をしたことがありますが、納得できる答えをもらうことができませんでした。しかし、たった一人だけ理解してくださる方がおられました。それは心理占星術家・関口シュン先生です。主宰:関口シュンのプロフィール - 星のまなざし - 星のまなざし (hoshimana.com)
関口先生は「私が発信する情報は先人や天からもたらされたものであり、個人のものではない故、自由に使ってください」と仰る、まさに風の時代的精神を持った方なので、私も安心してブログに書くことができます。関口先生は歴史的照合にも詳しく、本当は「逆さま」ではないのか、今は山羊座が完成した段階ではないのか、そう考える方が腑に落ちるーーと仰いました。
なぜ逆サイクルなのかという以前に、現在の人類と世界において、本当に魚座的なものが完成しつつあるのか?という決定的疑問が存在します。魚座とは融解であり融合であり繋がりです。人が人を殺し、他の生命や地球の恵みを奪い合うこの現状において、私たちは本当に繋がっていると言えるのでしょうか。
繋がりとは分離感の統合ですから、男女、善悪、顕在意識と潜在意識、光と闇、精神と物質・・・あらゆる二極の差異が昇華された状態と言えるでしょう。到底、そんな段階ではないと思われます。二千年前にイエスが登場し、キリスト教原理(イエスが本当に伝えたかったこと)が、広く理解されつつあるポイントに至ったという視点で見ると、魚座の完成に至ったという見方もできるかもしれません。
しかし、12星座の本質を考える時、山羊座の完成という意味では合点がいきますが、魚座なるものが完成したとは(個人的に)考えにくいのです。山羊座はこの世の王であり、土星的原理です。過去二千年をかけて、物質世界の法則が極限まで達したと仮定するならば、すべてが符号します。
私たちが幻影と支配の世界で苦しんできたのは、海王星(魚座)がもたらす幻想だけではなく、その根底には土星(山羊座)がもたらす見えるものにしがみ付かずにはいられないという恐怖があったはずだからです。目に見えるものがすべて、お金がすべてという物質性です。それゆえに騙されてきた。命さえ手玉に取られました。
硬くて縦の構造(目上に従い、枠組みから飛び出すことが許されない)を持つ土星原理が完成し、物質文明的には頂点に達しつつあります。しかし、そのせいで、その背後にある物質を生み出す原因・精神と霊性を見失ってしまったのです。それゆえの権威主義であり科学万能主義であり、忖度型かつ損得型コネクションの時代でした。
それが完成した段階だからこそ、水瓶座時代という霊性の時代、意識の時代、黄金時代へと進むことができる、そう思われてなりません。このような大きなテーマは人類の集合意識に沁みこんでしまうため、本当はどうなのかという本質を解き明かすことは重要なことだと考えます。魚座が完成した上で水瓶座時代へ向かうという「共通の意識化」がなされた場合、大切なものが抜け落ちていきます。
しかし、(もしもそれが事実であると仮定して)山羊座を踏まえた上で水瓶座時代へ向かうのだという共通認識を持つならば、人類の進化の方向性や可能性に大きな差が生まれます・・・確かに霊的にはじき出されたのかもしれないユガの区分で考えても、電気的力を理解する段階(量子的発見と意識・霊性・天王星)とは山羊座(土星)という物質性を極めた先にあるものとしか思えないのです。皆さまはどう思われますか?
しかしながら、どちらかが正しく、どちらかが間違いという視点自体が水瓶座時代にふさわしくはありません。どちらも真実なのかもしれません。与えられた知識や学問、在り方をそのまま鵜呑みにするのではなく、主体的に生きるということ。私たち自身が真実を探求し、星の実証を見定めるという視点を持ち続けていたい、共に進化していきたいと願っています。