太陽と月の関係について
マドモアゼル愛先生の月理論によって、月が個々人の欠落した性質を顕わし、月という天体が人類に与える<苦しくも偉大な働き>について開示されました。これにより、多くの人たちが「楽になった、救われた」と仰います。
私自身もまさにそうです!「月」に気がついた時、もはや偽りの自分である必要がなくなり、強制的で暴力的でさえある無意識の鎖から解き放たれたのです。
しかし、ユリシス、実は、ずっとずっと腑に落ちないことがありました。ホロスコープ上の月が欠損であるならば、「素の自分・社会性を獲得する前の自分」は、一体、どこにあるのか?ということです。本来、占星術が定義する月とは「ペルソナをつけないありのままの自分自身」です。
つまり、太陽が大人の意思であり、月は幼いままの感情です。太陽が外へ向けて活躍しつつ、成長し続ける自分自身であるとすれば、月は社会性からも太陽からも解放されて、ただ家でくつろいでいる自分自身です。
365日、社会性を持って働きつづけていたら、やはり、人間は壊れてしまいます。家でくつろぐ自分、目的からも自由になり素のままで過ごす自分がいてこそ癒され、再びの活力を得ることができるのです。
その視点から見ると、太陽と月は私たちの最大の両輪であり、陰陽であり、裏表なのです。どちらも必要です。ゆえに、欠損としての月ではなく、素の自分としての月はどこにあるのか?と考え続けてきました。
それは「ホロスコープ上の月を反転させた位置・対極の位置」にあります。その仮説の下に考察していくと、失われたピースがハマるかのようにすべてが腑に落ちました。ユリシスの月は蠍座の27度にあります。(これが欠損としての月)ゆえに、素の自分としての月は牡牛座27度になります。(これが本当の月)
私を例にとって解説します。私の太陽は射手座3室です。書くこと、表現することが大好きです。何かを深く掘り下げ、そこから得たものを伝えたくなるのです。その衝動、その情熱は消えることがありません。
しかし、本当の月は牡牛座8室にありますから、素の私はタレパンダみたいな感じです。自分から外界へ向けて働きかけようなどとは微塵も思いません。放っておくと、どこまでもタレようとします。あきれるほどにタレ続けます。お家の中で料理したり美味しいものを頂いたり、お花を飾ったり、ゴロゴロと本を読んだり、ぼーっとしたり・・・それが最高の幸せです。
昔から「私のこの呑気な感じ、浮世離れした感じはどこから来るのだろう?」と疑問でした。家の隣で山火事が起こり、大変なことになっている!と連絡が入っても、その道中でたこ焼きやさんを見つけ、美味しく食べている私に友達が仰天していた・・・とか、結婚指輪を落としたことに気がついて「あ、指輪がない!」と口にした後、友達が「戻って探そうよ!」と言ってくれているのに、「ううん、もういいの、指輪さん、どこかへ帰ったのよ~」などと返すw
ずっとこんな調子です。月が蠍座なわけがないのですwしかし、月が牡牛座にあるとすれば、すべてすっきり納得なのです。パンダはずっと家にいても大丈夫。どこからか、ご飯も衣服も与えられます。お家の中でご機嫌に好きなことだけしていたらそれで幸せーーそれがタレパンダの本性であり、素の私なのです。
しかししかし!月だけではダメ人間になってしまいます!!!だからこそ、私は射手座の太陽をギラギラと?輝かせていますw太陽は「意思」です。常にタレようとする月の「素の感情」をコントロールできるのは太陽なのです。楽なことだけしていたい幼い月のお尻を叩き、アンタ、せっかく生まれてきたんだろ!やるべきことがあるだろ!いつまでもタレてんじゃねーー!と太陽が月を引っ張っていきます。
自然界の陰陽バランスは51対49だそうです。ならば、本来、私たちも太陽51、月49くらいで生きていけるのかもしれません。働きすぎ、社会性に傾きすぎなのかもしれませんね。(みんな、もっと天真爛漫で、もっと自由でいい!)
例えば、太陽山羊座、本当の月が魚座であれば、外ではバリバリ活躍して、家に帰ると大らかで受容的、お酒も好きかもしれませんw例えば、太陽双子座、本当の月が射手座にあれば、外では明るいムードメーカー、家に帰ると哲学書なんかを読んでいるかもしれませんね。
なんでも掘り下げずにはいられない射手座のユリシス、身近な人で検証してみましたが、本当の月は反転にある説・・・なかなか相当、いい線いっていますw皆様はいかがですか~?(*^_^*)
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