天体の年齢域とリミッター~人生の時間割が導く桃源郷~
天体には「年齢域」という考え方があります。各年代ごとに影響を強く受ける天体があります。(サイト上から表をお借りしました)
皆様の天体のサインを、年齢域と照らし合わせて見ていただくと、驚くほどに、その影響を感じられると思います。ユリシスの天体を例に出しますね。
月・蠍座→小学校に上がるまでは、とてもセンシティブな性質で、3歳くらいにはすでに「なぜ生きているのか?死んだらどうなるのか?宇宙の果てはあるのか?」そんなことばかりを考える子どもでした。(月の時代は概ね不安定ですが、さらに、蠍座・冥王星の影響で、深く掘り下げる性質が強く出ています)
水星・射手座→小学校に上がると、突然に積極性と主体性が出てきて、お転婆で好奇心の塊のような性格になり、毎日が冒険でした。(水星の影響下で好奇心と吸収力が全開。射手座・木星の影響で大らかで発展的)
金星・水瓶座→高校生になると、水星期の楽しかった世界が一変しました。自信がなくなり、憂鬱な日々を送りました。金星期特有の真っ直ぐすぎる恋愛が主たるテーマ。そのおかげで、大学時代は過呼吸や神経症を発症。まさにノイローゼな時代、人生で一番苦しい時でした。(水瓶座は視野が高い反面、ノイローゼのサインという説もw)
太陽・射手座→目的地が定まらないながらも、どうにか進みだした時代。悩んでいても仕方がないと吹っ切れつつある段階。苦しいことはたくさんありながらも、暗闇の中、手探りで必死に歩いていた時代。さすが太陽期。後半は色々なことが成熟してきて、随分生きやすくなりました。(射手座は高みを目指してとにかく成長しようとするサイン)
火星・牡羊座→強い独立心が芽生え、自己表明としての行動をやり続けた時代。資格を取り、丁稚奉公をして、個人事業主になってサロンを立ち上げました。湧き上る情熱や感情に翻弄されつつも社会運動や動物愛護にも関わり、信じられないくらいエネルギッシュでした。そして、度々「キレて」いましたw(前にしか進めない故の苦しみもありました。どうにも牡羊座火星ですからね・・・)
木星・水瓶座→40代前半になると、とても穏やかな時間が流れるようになりました。火星期でキレ倒していた自分はどこへやら。視点が「自己」から「全体」へ、興味の対象が「個人・個人的表現」から「全体の利益」へとシフトチェンジ。改善・改革・発展・拡大が土台のテーマです。(まさに水瓶座・天王星の色をした木星の影響下)
このように、振り返ってみると、年齢域の天体とサイン(+ハウス)の影響は甚大です。ユリシスは現在、木星期です。ということは・・・・55才以降は土星・蟹座の影響を受けることになります。慈愛や受容性がテーマになるのかな、なんて予想ができますね。土星期に入っても「人を愛する・許して受け入れる」という課題ができていない場合、土星先生からハードな愛の鞭をいただく、なんてこともありそうですw
人生には「時間割」が存在しています。年齢域に注目してみると、今現在の大枠のテーマが見えてきます。稀に、2時代続いて同じサインの方もおられます。火星期・木星期共に同じサイン、木星期・土星期共に同じサインというように。ユリシスの知る限りでは、50人に2~3人程の割合です。
2時代続いて「同テーマ」ということは、よほど「そのフィールドを学びたい・獲得したい」ということかと思います。反転サインの完成という意味合いもあるでしょうね。
天体の年齢域の視点から、ホロスコープ全体を見る時、「その時々、等身大の自分を生きるしかない。やってみるしかない・体験してみるしかない」と強く思うわけなのです。私たちはいきなり聖人君子になんてなれません。怒りやコンプレックスや絶望、嫉妬や泥沼の自己否定、許せない気持ちや憎しみ・・・それらを体験して味わい尽くすから「超えられる」のです。
やってもないのに、味わい尽くしてもいないのに、一体、何がわかるというのでしょうか?体験しないと何もわからないのが地球人生です。どんな自分も「体験・学び」でしかありません。唯一無二の自分を抑え付けて、自分でないものを生きること以外、地球に「罪」なんてないのです。
笑われたっていいんです。アホを晒して生きて、後で赤っ恥かいてもいいんです。ユリシスなんて、死ぬほど赤っ恥だらけの人生です。思い出したら赤面を通り越して、ギャーーーーって叫んで、地底にでも潜りたい気持ちに、何度もなりました。多分、誰にも負けません(何自慢?)
自分を抑え付けると、時間割を時間通りこなせなくなります。できれば、時間割通りに体験する方が自然だし、スムーズです。でも、遅いなんてことはありません!!!いつだって今が一番若い。思い残すこと、ひっかかること、不完全燃焼感のあること、それらは「体験され、昇華される」ことを待っています。待ち侘びています。
何もかも「アタマの世界」では無理なのです。体験だけが先生なのです。戦争反対、強制やめろ・・・とこぶしを突き上げても、世界は変わりません。でも、こぶしを突き上げることも、自分を表明することもせずに「私はどうしたらいいのか?」なんてわかるはずがないんです。答えは一人一人違うからです。
だから、その時々の自分に正直であればいい、それだけでいい、ユリシスはそう思います。怒りたかったら怒ってもいい。お節介でも、伝えたかったら言ったらいい、そう思うのです。アタマでっかちに「真実はこうだ」「あれは間違っている」などと言うと、おかしな方向へ行きます。それよりも「自分を体験する、自分を表明すること」の方が、圧倒的に大きな気づきと成長を齎します。
そして、怒りを否定せずに「怒り尽くす」と怒りの向こう側へ行きます。正義感を追求して「自分の正しさを生き切る」と正しさの向こう側へ行きます。動物愛護に尽力して「胸の痛みに感応し尽くす」と痛みや悲しみの向こう側へ、耐えがたさ・悲惨さの向こう側へたどり着くのです。
私はそれを「リミッター」と表現したいです。リミッターを振り切ると「卒業」です。はい、次の学びと体験の世界へようこそ・・・と迎え入れられます。そのように「あらゆる次元を体験すること」が「許し」です。それが二元性を超えるということだと思います。
大いなるものに安心して身を委ね、自分の時間割と設定を全面信頼して、自分を生きましょう。大丈夫です!!!初めから何の心配もいらなかったのです。人生には完璧な時間割があり、委ねて歩いていくと、トランスサタニアンの世界へ押し出されるのです。誰もが皆、そのように「設定」してきているのです。
不安も恐怖も楽しみましょう。色々な経験をしたくて、心配や不安や絶望を「体験しているだけ」・・・なのですから(*^_^*)私たちも世界も必ずよくなりますから・・・