親戚という不要物
親戚、血縁、肉親、兄弟、つまりは「血」の繋がりが「近いだけ」の人たち。
何故か、血の繋がりが近いってだけで、他の人よりも大事なものとして扱うのが「普通」とされる、なんだかよく分からない人たち。
昨今では、毒親なんて言うものもあって、親だからとか、そんな事は言ってらんないのが「普通」なんではなかろうか。
しかも、たった「それだけ」の繋がりなのに、いざ遺産相続などというイベントが発生すると、我先にと湧いて来る。
なんだ?こいつら。
子供の頃は、親戚は大事だからというのを刷り込まれて、それは何故か?と尋ねたら「いざと言うときに助けてもらわなければいけないから」と言われて、そういうものなのかと思った。
しかし、実際にそんな関係者を眺めて見れば「助けてくれる」どころか「アテにされる」のが関の山な連中ばかりである。
遺言書の項でも書いたように、私の僅かな遺産も、そんな関係者にはビタ一文くれてやるつもりは無いし、付き合っていくつもりもない。
要は「血縁なんだから」という理由だけで付き合うのは御免なのだ。
なので、血縁関係でも、付き合いたいような人なら普通に付き合う。
まあしかし、今のところ、私の周りの血縁関係で、そんな魅力的な人材は皆無である。
誰とは言わないが、私にその関係だけを理由にして、金の無心をしてくるような奴は、もはや口も聞きたくないし、顔も見たくない。
金の無心ほど見苦しいものは無いし、そもそもが、普通に生活しているではないか。
妻に関しては血の繋がりもないし、結婚したのは私の選択であったのだから、妻に対しては文句はあるが、これは自己責任と思って許容出来る。
しかしながら、妻の親戚、妻の親兄弟に関しては知ったこっちゃないし、付き合うつもりも無いのは、私の血縁関係と同じ。
職場などもそうだが、日本人はやたらと干渉し合う集団が好きだね。そんなに群れてないと嫌なのかね?
このご時世、密を避けるなら、群れずに独りで生きていくのが一番だと思うけどね。
日本は嫌いじゃないし、むしろ好きだが、日本人の集団主義はいい加減廃れて欲しいもんですね。
アメリカには行った事は無いけど、アメリカ人の個人主義は好き。
そのせいか、田舎より都会の生活が快適だったね。これも、田舎は好きだけど、田舎モンは嫌いって事。都会は隣が誰かも分からないようなドライな人間関係が心地良かった。
田舎は、なんだかんだと干渉する田舎モンが多くて不快。要はその代表格が血縁関係って事ですね。
まったく、困った連中ですね。