0001 キコ・コスタディノフ:アイトア・スループとアクロニウムの系譜 1
日々考えていることをiPhoneのメモに書き留めていたら1979ファイルという量になっていた。自分の中だけに留めていても仕方がないので、編集・加筆を加えつつなるべく原文に沿った形で公開していくことにした。
自己紹介はよしておこう。そんなことは今は重要ではない。何せこれは、ただただ自分の思考を吐き出すための個人的な作業に過ぎないのだから。
これは批評(レビュー)でも日記でもなければ誰かに向けたライティングでもない。
勘違いによる間違った情報もあれば、想像で語られていることもあるだろう。支離滅裂な文章もあれば、日本語ですらないこともあるだろう。
全てが主観的で身勝手な言葉であるとあらかじめ述べておく。
前書きは以上。以下からが本文である。
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キコ・コスタディノフ:アイトア・スループとアクロニウムの系譜
キコ・コスタディノフ(KIKO KOSTADINOV)という人物をご存知だろうか?
キコという日本人に馴染みのある響きと、コスタディノフといういかにも東側を連想させる名前の意外な組み合わせに、この上ないキャッチーさを感じるだろう。またキコと聞くと女性を思い浮かべるだろうが、ここでは髭が濃く彫りの深い、少し小柄なスラヴ人男性を想像していただきたい。
キコ・コスタディノフはロンドンを拠点とするブルガリア出身のファッションデザイナーである。かの有名なセントラル・セント・マーチンズのMAコースを2016年に卒業し、同年6月のロンドンファッションウィークでランウェイデビューした。デビュー時から若手デザイナー支援制度NEWGENのサポートを獲得するという優秀っぷりで、ロンドンメンズ期待の星と言われている。
現在、彼の名を冠したブランドは6シーズン目で、同時にクリエイティブディレクターを務めるマッキントッシュのコレクションライン「Mackintosh 000n」(nにはシーズン番号が入る)は4シーズン目、彼が友人らと共に主宰するAFFIX WORKSは今夏(2018年7月末)にワークウェアのコレクションをリリースする予定である。
上記の通り彼はデビューして2年足らずのデザイナーとしては異例の同時に全く趣旨の異なる3つのプロジェクトを進めているのである。この多軸体制についてはアイトア・スループ(Aitor Throup)とアクロニウム(ACRONYM)、そして私の考える今後のファッションデザイナーのあり方と関係してくるので後々詳しく触れるとする。
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1989年にブルガリアに生まれたキコは16歳の時に家族とともにロンドンに移住してきた。ブルガリアは89〜91年にかけての共産党政権崩壊(東欧革命)やソ連崩壊に伴い市場を喪失し、経済は劇的に縮小して生活水準はそれ以前の約40%まで落ちた言われている。2007年1月にEUに加入したため、それを機に彼の家族もまた多くの移民同様に、より良い生活環境を求めてロンドンへやってきたのだろう(父は彼と母より3年先にロンドンに来ていたとのこと)。
ちなみに、同じくソ連圏であるジョージア出身で、ヴェトモン(Vetements)やバレンシアガ(Balenciaga)でファッション界を席巻したデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)は1981年生まれなので、一回りほど世代が違うと言える。キコは「鉄のカーテンの消滅」以降に生まれた世代で、資本主義カルチャーが一気に流れ込んできた衝撃を直に体験してはいないため、近年の旧ソ連圏デザイナー主導の流れと一括りにしてしまうのはいささか早計である。
この件に関してはまた別の機会で詳しく論じようと思う。
キコの生い立ちに話を戻すと、彼はロンドンへ移住した当初、新しい環境に慣れずブルガリアに帰りたいと思っていたという。とあるインタビューでは自分だけブルガリアに帰って、両親から仕送りをしてもらいながら楽しく暮らすことが当時の理想だったと語っている。これはある意味どこの国の16歳の少年にとっても理想的な生活なのではないだろうか。
とはいえそうなるはずもなく、彼は唯一関心を持っていたパソコン(昼夜問わずオンラインゲームをやっていた時期があった)を学べるIT系のカレッジに通い始めた。しかし授業は思い描いていたコーディングなどではなく、エクセルなど初歩的な事ばかりで「将来デスクの前に座り続けてスプレッドシートをいじり続ける職にはつきたくない」とここで決心したらしい。(皮肉なことに、多くの事を自分たちでこなさなければならない駆け出しファッションデザイナーの仕事には少なくはない量のエクセル作業が含まれている)
何もしたい事がなかった彼は学校には行かず、毎日ロンドン中のTK MAXX(ディスカウントショップ)を巡っては安くてかっこいい服を探していたという。
パソコン関連の道もやめた今、「自分は本当は何がしたいのか?」と考えた彼は唯一好きだった服に関連していると同時にお金にもなる事はスタイリングとマーケティングであると考え、LCF(ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)のファウンデーションコースに通い始めた。元々、写真とマーケティングのコースに進みたいと思っていたが、同コースの内9割がそこを希望すると聞き、だったら他とは違うことをやりたいと思っていた際にセントマのBAデザインとマーケティングコースを勧められ、ポートフォリオも何も無いながらにややこしいオンライン手続きをこなし出願した。しかし結果は不採用。もうどうずればいいかわからなくなった18歳の少年は落ち込んだ状態で久々にブルガリアに帰り、3ヶ月間何もせずに過ごしたという。
その後ロンドンに戻った彼はアイトア・スループのインターンに応募し、1年間の修行を経た後に再度BAに出願し、今度は見事合格した。
ここまでが彼がセントマに入学するまでのざっとした経緯である。セントマ在学中の時点で注目を浴び卒業後も驚異のスピードで名を上げていった彼であるが、最初から順風満帆なエリートコースを進んでいた訳ではないことに私は惹かれそしてシンプルに勇気を貰った。彼は2016年にMAコースを卒業するまで計7年間セントマーチンズにいたと言うが、その内3年間はBAコース、2年間はMAコース、残りの2年間はBAに受かるまでに忍び込んでいた期間だという。
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タイトルでも触れているアイトア・スループとアクロニウムとの関係まで至らなかったがそれについては次回以降述べるとする。
最後に勝手な憶測による豆知識を付け加えるとすると、スラヴ圏にキコ(KIKO)という男性名は存在しないため、これはあだ名か何かであると考えられる。真の名を知られないためか、あるいはいつの日かブランドが買収された際に自らが自分の名前を使えなくなることを避けるためか、単純にそう呼ばれることに馴染んでいるからか。その理由は不明だがここに本名を明かすようなことはよしておこう。気になる人は自分で調べてみるといい。
つづく。
参考資料:Intelligence Magazine issue 3 (2016), FREE Magazine issue 4 (2016)
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何事も続けることが重要。続けるためにはモチベーションの維持が大事。モチベーションは報酬によって維持される。投げ銭していただけると私のやる気が上がりますので、続きが気になる方はぜひ。
0001 キコ・コスタディノフ:アイトア・スループとアクロニウムの系譜 1
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