私は”カレーうどん”を生み出せない-Xデザイン学校ベーシックコース

いま受けているXデザイン学校のベーシックコース、とてもハードです。
講義内容について振り返るnoteを、ほとんど書けていません。
今回、病気をしてしまったという事情がありつつも、それにしても書けていない。

講義のグループワークでも、「何故できないのか」「ビギナーで初学とはいえ学んだのに」と、チームメンバーに申し訳ないばかりなのです。

良いアイデアが出せない。
何故なんだ。勉強しているのに。

考え続けていました。

ニュータイプ、アフターデジタル、VISION DRIVEN。
様々な書籍。
この一年、新しい思想や事例を積極的に学んできたつもりでした。

では、何故なんだ。
アウトプットに繋がっていないのは何故なんだ。
何故、私は進めないんだ。

ずっと苦しみを感じていました。

昨年にビギナーコースを受け、続いてのベーシックコースの受講。上位コースであるので、レベルが上がっているのは当然のこと。
とはいえ、インタビュー、ペルソナ、上位下位関係分析、バリューシナリオなど、ビギナーコースで初学ながらワークもした。
けれども、トンネルに入り込んでしまったような苦しみをずっと感じてきました。

つまり、ハードなのは受講内容という以上に、私の頭がハードなんです。

炎上していると言っていい。
講義のたび全神経をフル稼働して、受信しようとしている私の頭の中はぐるっぐるにかき回され、浅野先生からのインプットに翻弄され(正しくは、私側での処理ができていない、です)、毎回の講義に心はワクワクと高揚しながらもアウトプットは散々なもの、といった状況が続いているのです。

ずっとその理由を考え続けて、後半に差し掛かった今、気づいたことがありました。
それを書くことにします。

私は物を知らないのだ、ということはビギナーコースを受けた時に気づいていました。その上で、ここベーシックコースでの学びに至り、私が気づいたのが、

私は、カレーうどんを作れない

カレーうどんと言えば。
インド発祥の料理であるカレーに、日本最高峰のハイパー旨味調味料”出汁”を加え、さらに米ではなくうどんを合わせたもの。そして、蕎麦屋で生まれたもの(カレーうどん発祥のお店は東京・早稲田の老舗のお蕎麦屋「三朝庵」と言われています-wikipedia)。

情報を加えるなら、日本に初めて伝わったカレーはインドのカレーではない。当時インドを統治していた大英帝国にまず輸入され、取り込まれた欧風カレー。それが明治時代に持ち込まれたらしいです。

日本でのCMを見ていても、レトルトでインドカレーってあるだろうか?ちょっと考えてみると、思い浮かばないです。辛さが強いとしても、基本的にはドロッとしているシチュー状の商品が多い。洋食屋で、インドタイプのカレーを見た記憶はないですね。

子供の頃に親しむのも、欧風カレーが圧倒的なように思います(個人的な経験を言うなら、インドカレーは社会人になってから食べたもので、第一印象「サラサラが過ぎるよ!?」だった)
そして今もインドカレーは、インド料理屋で食べている気がする。

カレーうどんは何故生まれたのか。

カレーうどん発祥と言われているお店は、早稲田の蕎麦屋「三朝庵」。
蕎麦といえば、落語でも頻繁に登場するほど江戸時代の庶民に愛されたメニューのひとつですね。
それが、明治時代に入って西洋文化が轟々と流入するなか、ハイカラなものとして持て囃されたのがカレー。そのカレーに人気を奪われた蕎麦。
それに対抗するため、生み出されたものと言われています。

カレーうどんのママは、蕎麦屋。

うどん屋ではない。
三朝庵の店主はまず、自分の店の客が減ったことに気づく。そして、その理由が最先端の英国式の食べ物「カレー」であることを知った。
後にカレーを用いたメニューを作ることを考えれば、無論カレーの味や特徴も知っていたと思われます。そして、蕎麦屋である自分の武器「出汁」の力は、言わずもがな存分に理解しているはず。
そこに加えて、日本の食材としての饂飩の良さも知っていた
。もしくは、蕎麦と同様の麺として饂飩を試した。蕎麦にこだわらず自分を麺屋として捉え、見出したのかもしれない。だから生み出すことができたメニュー。と、言えるとしたら。

さて、私に置き換えてみる。
いま、私は、カレーうどんを発明できていない。思いつくことすらできていない。なんか新しい要素をちょっと加えてみた蕎麦、くらいしか考えることができない。飛躍することができない。

カレーが最先端で熱狂されていることを知っていて、自らの客を奪っている敵であることをわかっていた。
そして、自分の武器である出汁の力を理解していた。
それぞれの違いと強さを理解した上で、根源を取り込んでやろう、むしろその強い魅力を使ってやろうと考えることができたのだとしたら。そして、蕎麦屋なのに決断した。

カレーには蕎麦じゃない、うどんだ。

自分は蕎麦屋だが、「カレーよりも旨いもの、蕎麦屋に客を取り戻すもの」を追求した結果、自然な帰結で「うどんだ!」とたどり着くことができたのだとしたら。

カレーうどんの発明には、
カレー
出汁
うどん

それぞれを知っていることが必要条件だった、と言えないだろうか。

カレー、出汁、うどん。
私にとっては、それは何だろうか。
考えが至ったのは、

宗教
民族
歴史
哲学
文学
国際情勢
日本の歳入歳出の内訳
高齢化の推移予測
限界集落、地方のお金の事情

そう言った類のものでした。

私の中にはそれがない。世界や世の中で起こっている現実を読み解く筋力がない。
だから、生み出せない。

それが一端にないだろうか。
それが私の気づきです。

例えば、私は具体的な宗教を持っていません。神宮も参拝しますし、檀家でもあります。聖なるものには分け隔てを持たず敬意を払うという感覚です。
宗教を持つ、と言う感覚を実際に理解することは難しいです。

ですが、イスラエルとパレスチナの争いは宗教の違いと世界大戦時の計略によって、2019年現在まで解決せず続いている。EUに未だトルコが入れないのは何故か。宗教の違いがもたらすもののインパクトや、民族の違いでお互いに命を奪うほどに争う理由。日本ではイギリスと呼称するけど、英語ではEnglandではなくUKであることの距離感とか。
フランス領だったベトナムの独立戦争にアメリカが介入したのは何故なのか、とか。何故、今の基準の通貨は大英帝国のポンドでなくドルになったのか。日本の若者が貧しいのは何故か、とか。etc,etc。
学生時代、歴史は日本史世界史問わず、特に中世までは大好きで、テスト用紙の裏にまで回答を書くほどだったけど、世界大戦以降は政治色が強くて、そんなに惹かれなかったな…など思い出しています。

島国、単一民族である日本に住む日本人と言う環境・制約のもとでは学ぼうとしなければ理解がしづらいもの。そういった世界にたくさんある知らないもの。知らない考え方。知らない歴史。文化。

世界のビジネスは、大小の差があっても、宗教や民族の影響を受けている、もしくは考慮している。
日本自身も、日本独自で育まれた考え方、感覚が職場、組織、コミュニティに染み付いている。

世界を知る、世の中を知る、今を知る。

そもそもの基礎体力がガリッガリじゃないか、ということに辿り着きました。
まずは宗教、そして歴史について学ぼうと思っています。



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YURIE OSHIMA
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