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おばあさんみたいに歩こう①。 [那須岳 2021.9.26-27]


登山を始めてまだ3、4年目の頃、ある作家さんを北アルプスの燕岳へ案内したことがあった。とても天気のいい日で、その人はコマクサが咲く山頂をゆっくりと、いや、ぶらぶらと言った方がしっくりくるかもしれない。とにかく財布も持たずに近所をぶらぶらするような感じで、とてもリラックスした様子で歩いて回っていた。

人生初の北アルプスに登ってきて、こんなに静かな心持ちでいられるなんてと驚きつつ、横に並んで一緒に歩いてみたくなった。

その人は口笛交じりに小さく歌を口ずさんていた。「何ていう歌なんですか」と尋ねると、「『おじいさんみたいに歩こう』っていう歌」と言う。「聞いたことがない歌ですね」と返すと。「だって今、僕が作った歌だから」と笑っていた。たしかに、おじいさんみたいな山の楽しみ方だなと思った。急がす、騒がず、しみじみと。そよそよと風の吹く春の裏山のような。

9月に41歳の誕生日を迎えた。あの時の作家さんと同じくらいの歳になったからというわけじゃないけれど、何となくあの歌のことを思い出して、ひとつ『おばあさんみたいに歩く』登山をやってみようかなと思いたった。それで那須岳へ来た。

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那須岳は思い出深い山だ。初めて訪れたのは山岳雑誌の取材で、ちょうど今頃、緑の山に赤や橙、黄色のパッチワークが混じり始めた頃。女性4人で茶臼岳の奥にある山小屋・三斗小屋温泉大黒屋を目指した。大黒屋は歩いてしかいけない山の秘湯として名高いけれど、仰々しいところがなく静かで上品で大人の山小屋という感じ。おばあさん山行にはぴったりの宿だ。

都合いいことに当日は小雨で、山は霧の中。予定では茶臼岳を登ってから小屋へ下ろうと思っていたのだが、迂回してさらにのんびりと歩くことにする。ひとつも山頂を踏まない。

途中、60代の女性グループや、同じくリタイア後のご夫婦など数組と出会い、少しだけ言葉を交わした。「雨だもん、無理することないわよ。それにほら、こんなに紅葉が綺麗なんだもの。ゆっくり見ていかなくちゃ」と、写真を撮ったり、ちょっと脇道に逸れてみたり、みんな回り道を楽しんでいる。平日の那須岳(しかも雨天)は、おばあさん山行の達人が多い。

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思えばこれまで登った山の多くは取材で、いつも時間や写真の撮れ高を気にして歩いていた。雨天のことももちろんあったけれど、一瞬の晴れ間を狙って撮影しようと、多くの時間をどんよりとした雲を見上げていたように思う。それはそれで楽しい山行で、仲間と一緒にああでもない、こうでもないと言いながら歩くのも悪くないし、いい取材ができたときの喜びは何にも替えがたかった。

だからこんなふうにパートナーと連れ立って、何のミッションもなく、ただぶらぶらと山を歩く日が来るなんて信じられない。しかも、まあまあ楽しいなんて。かつて歩いた山でも、状況や心持ちが変われば風景の見え方も風の感じ方も全然違う。雨だって憎たらしくない。

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大黒屋の風呂は窓が大きくて、常に開け放たれたそこからは山の冷たい風が入ってくる。熱い湯とひんやりした空気が心地よくて、秋は窓越しに色づいた木々が見えるのもまたいい。

風呂で一緒になった初老の女性は娘と一緒に来ているのだと言って、私がパートナーと一緒だと言うと「いいわねえ」と目を細めた。それからお互いが登った山のことを話したり、山談義に花が咲いた。「あなたはまだ若いから、これからまだまだいろいろな山に登れるわね。私はあと何年登れるかわからないから、焦っちゃうわ」と彼女。「いいわねえ」と、今度は遠くの山を見ながら言った。

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そのとき、なぜ唐突に「おばあさん山行」などというものをしてみようと思い立ったのか、わかったような気がした。私は紛れもなく、おばあさんなのかもしれない。「あといくつ山に登れるかしら」と言った初老の女性と同じく、私もまた、どこかでそう思っているのだ。

数年前、遺伝性の疾患が発病した。親から聞かされていたので、いつかは発病すると覚悟はしていたけれど、想像よりだいぶ早かった。残念ながらまだ根治薬がない病で、かと言ってすぐ命に関わるものではないので、気長に共存しようということで納得している。

毎日薬を飲む以外は病について意識的になることもなく過ごしているのだけれど、誕生日は少し違って、「ああ、また1年間元気でいられた」と少し感傷的になったり、いろいろなものに感謝したりする。そしてその日から始まる新しい1年を思って「どうか無事に。何事も起こりませんように」と願う。そして「あといくつ山に登れるかなあ」と思う。

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でも、それは決して悲しいことだとは思っていなくて、おかげでこんなふうに穏やかに、好きな山を好きなように歩けるようになった。ひとつひとつの山を、ちゃんと噛み締めて、踏み締めて歩けるようになった。晴れても降っても、これまで以上にそこに美しいものを見つけられるようになった。

家族でも恋愛でも仕事でも、永遠に続くと思っているうちは気づかないこと、味わえない感情がある。そのタイミングが人より早く訪れた自分は、一歩お先に「おばあさんのように歩く」楽しみを知ったのかもしれない。財布も携帯も何も持たずに、近所をぶらぶら散歩するように山を歩く。途中で知り合った猫や鳩や子どもや、そんな一切を愛おしいと思うのと同じように、最近の山はすべてが美しくて、かけがえがない。

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