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たかが写真にお金をかけてバックアップをする理由

体調を崩してしまい、昨日更新しそこねてしまいました…悲しい。その分今日は2つ更新します。誰に強制されてるわけでもないけど、自分で決めたことなので。(ストック書いとけばいい話なんですけどね)

さて、タイトルの話。

おとといバックアップの話を書いたのですが、写真でご飯を食べてるわけでもないのに私がバックアップにこだわるのには理由があります。

2011年の4月、大学1回生の春。先輩の活動のお手伝いで、被災直後の宮城へボランティアに行きました。九州出身の私は、ニュースでは震災のことを見てたとはいえ、自分の生活のなかで被害を実感することはなかなかなく、直接目にした生々しい被害のあとのに愕然としたのを覚えています。

被災地でのボランティアと聞いて、瓦礫の撤去や物資の運搬などをイメージしていた私たちに任された仕事は、ちょっと意外なものでした。それは、津波で流され、海水に浸ってしまった写真の洗浄。

「え、写真?」腑に落ちない、もっと直接役に立つ仕事がしたいという友人もいました。

だけどそこで、写真が人にとっていかに大事かを垣間見たのです。写真が大事、というとすこし語弊があるかもしれません。だけど、ちょっと想像してみてください。もし自分の写真が1枚残らず消えてしまったら。自分が生きてきた証が、二度と見られなくなってしまうとしたら。もし、すでに亡くなってしまった大事な人の写真を、全部なくしてしまったら。自分の記憶の中にしか、その人の姿が残らないとしたら。

若い人からしたら、インスタやFacebookにも写真があるからなんとなく想像がつかないかもしれません。だけどおじいちゃん・おばあちゃんの世代だとだいぶ事情が変わってきます。大事な人の形見がたった一枚の写真、というかたも少なくありません。

紙に印刷した写真は、やぶれても海水に浸っても、修復できる可能性があります。だけどデータは。SDカードやハードディスクなんて、簡単に壊れてしまいます。この地震列島に住んでる限り、地震で一瞬にしてぜんぶの写真データが飛んでしまう可能性だってある。

何かあったときのために防災バッグなどの用意をしてる人も多いかと思いますが、写真好きな人はぜひ、普段から写真を守る備えをしておくことを強くおすすめしたいです。


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