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聖なる牛が鎮座ましまして
インドに行ってみてなるほどと思ったことの一つが、「聖なる」生き物、牛の実態である。
われわれ日本人にとって、「聖なる牛」という言葉から思い起こすイメージは、人々が牛を神のように崇める姿ではなかろうか。牛を見たら人々ははっと眩しそうに目を細め、恭しく道を開ける・・・そんなイメージを私は当然のように抱いていた。ほかの旅行者たちのブログを読むに、どうやらこの想像は私だけのものではないらしい。
だがしかし。
実際の牛というものはかなり厄介で、そして思っていたよりはるかに多いのである。
そこらじゅうにいて、しかものったり座り込む。何を考えているのか、わざと人の邪魔をしてるとしか思えないような角度で小道をみっちり塞ぐ。
寄ってくるハエを嫌がりブルッと体を震わせ、小学生の頃やたらとチャレンジさせられた大縄跳びを思わせる豪快な動きで尻尾をぶんぶん振り回す。
そんな牛に対して、人々は眩しい目つきどころか威嚇のうなり声をあげるのであった。「オイッオイッ」と皆独特の声で牛をどかそうとする。
椎名誠氏は著書『インドでわしも考えた』において、インド人が牛に向ける視線を「粗大ゴミのよう」と書いており、その記述を読みながらふむふむと思った。「聖なる生き物」と認定されていること、人々がその存在を崇めることとは全く別問題なのであった。
そうね、思えば人間の世界も似たようなものかもしれない。いわゆる「偉い人」と、「尊敬したい人」はまったく別だったりするものね。
おだやかなのか獰猛なのかすらさっぱり判断のつかない巨大牛(というかもはや生きてるのかも謎)の隣をそっとすり抜けながら、そんなことを考えたのだった。
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