フィッシュケーキは、やめておけ
人生初のスコットランド、エジンバラについた。
イギリスの物価は高く、アジア旅のときと比べて飛ぶようにお金がなくなっていくので、とにかく節約を…とばかり考えていて、もう夕方だというのに気づいたら朝も昼もろくに食べてないことに気づいた。今日一日のあいだに、薄いパン一切れと賞味期限の切れたカロリーメイト(非常用の備蓄食料として買ってたやつ)しか食べてない。これはよくない。
腹が減っては散歩もできぬ。写真も撮れぬ。お腹が空いてるときに撮った写真というのは、レンズ選びを間違っていたり(レンズを交換する元気がなくて、ついてたレンズでそのまま撮っちゃうせい)、ブレてたり、とにかくイマイチなことが多い。
そんなわけで、Googleマップを開いて近くのフィッシュ&チップス屋さんを探した。歩いて10分くらいのところに、美味しそうなお店を見つけたので行ってみることにした。
小雨にふられ、すこし体が冷えたなと思いながらお店に入ると、清潔な店内には誰もいなかった。人気店だと思ったのにな、あれ?もしかしてお店のチョイス間違えたかも?不安になりかけたところに、奥から店主らしき人が出てきた。
「はろー!何にする?」
陽気な掛け声とともに現れたのは、アジア系の顔立ちをした、30台後半くらいの男性だった。
ほんとはフィッシュ&チップスが食べたかったけど、ちょっと高い。いや、相場よりは安いくらいだけど、私のお財布事情を鑑みると高い。
フィッシュ&チップスの下に、フィッシュケーキというのを見つけた。こちらのほうがいくらか安い。
「フィッシュケーキください」と頼む。
「やめとけ!」
「ん?」
お店にある正規のメニューを注文したはずなのに、店員にストップをかけられた。
「俺はフィッシュ&チップスをおすすめする」
「でも、」
「この店のフィッシュケーキは冷凍だ、フィッシュ&チップスはうまいよ。俺が作ってるから保証する」
あまりにも正直なレコメンドに驚いて、気づいたら「じゃあフィッシュ&チップスで」と頼んでいた。
「どこから来たの?」
陽気な店員さんはおしゃべり好きで、料理の合間にちょこちょことカウンターの向こうから話しかけてくる。
ふだんなら何のためらいもなく答える質問だけど、コロナの影響で、ここ最近は答える前に一瞬の勇気がいる。
「日本から」と言うと、「いいね!!!」と全力のにっこりを返してもらえたので少しほっとした。
彼の名前はジェンギスといい、出身はトルコで、イギリスに来てもう10年になるらしい。エディンバラは好きかと聞かれたので、まだ着いたばかりだからわからないけど、第一印象はとてもいい、と答えた。
「天気は悪いがいい街だよ」と話すジェンギスに、なぜこの街を選んだのか聞いてみた。「人が優しいからねぇ、ロンドンよりも」とのことだった。ロンドンは大好きな街だけど、あまりに大きくて人が多いから、人情味を感じる機会は少ないのかもしれない。東京もパリもデリーもきっと同じだ。
ここまでは、あたりさわりのない、挨拶に毛が生えたくらいの会話だった。
「俺、日本に友達がいるんだ」そう言われて、ちょっと嫌な予感がした。旅先において「日本に友達がいる」発言は、要注意なのだ。そこから詐欺トークが始まる場合が少なからずあるためだ。お店には私しかいないし、ちょっとだけ警戒レベルを上げながら「へぇ、そうなんだ」と相槌を打った。
その"友達"は、ジェンギスの出身であるトルコで働いていたそうだ。船に携わる仕事だという。
・・・
その後ジェンギスは調理のために、しばらく店の奥へと姿を消した。
所在ない私は、なんとなくツイッターを開く。疲れているせいで、タイムラインをつーっと指でなぞっても、なんの情報も頭に入ってこない。
戻ってきたジェンギスから質問が飛んでくる。
「ユリ(私の本名だ)!!アリガトーってのはどんな意味だっけ?」
大きな声にちょっとびっくりしながら「サンキューだよ〜」と答えると、「そっか、10年経つからさ、日本語忘れちゃったよ。前はちょっと覚えてたのに」と少し寂しそうな顔をする。
あれ、と思った。
彼の言う "友達" は、ほんとうに10年前にトルコにいたんだ。
疑ってかかってたことが少し後ろめたく思えて、トルコっていい国なんだってね、私も絶対行こうと思ってるよと言った。
「ユリ!」しばらくして、また厨房から呼ばれた。
「サラダ好きか!!」
反射で思わず「イエス!」と声を張り上げてしまった。
あつあつのフィッシュ&チップスと一緒に、トルコ風の味付けだという、オーガニックな材料だけで作ったサラダをサービスしてくれた。
バルサミコ酢の効いたすっきりした味のサラダは、揚げ物によくあった。うまいうまいと食べながら、トルコの話の続きをした。
カッパドキアに行ってみたいという話で、ひと通り盛り上がった。
「トルコは美しいところだな。政治は問題あるけど」
とくに深く考えもせず、話を途切らせないためだけに「どんな問題があるの?」と聞いた。ジェンギスは話し始めた。
トルコで、俺たちは迫害されていた。
うちの家系は、クルド系なんだ。聞いたことある?クルド。
俺自身はなんの宗教も信じていない。でも、トルコの政府はそれを許さない。
俺がアッラーに祈りを捧げなくても、俺が悪いやつってことにはならないよな?俺は誰がなんの宗教を信じてても、信じてなくても、なんだっていいと思ってる。だけど政府はそうじゃないんだ。
もうたくさんだ。そう思って出てきたよ。いろんな場所に住んで、エディンバラに落ち着いた。ここだと、誰も俺のことを人種で見ないんだ。
「…その、トルコの人種とか宗教の問題は、大きな問題だね」私の口からモゴモゴと出たのは当たり前ポエムみたいなどうしようもない言葉で、自分で自分に悲しくなった。
そろそろ料理を食べ終えそうになったところで、ジェンギスが「お茶を淹れるから茶葉を選んでくれ」と言う。「ありがたいけど、なんでそんなに親切なの?」と聞くと、「親切にするってのはGOODなことだろ?」と返された。
クルドの話をもっと聞こうとしたけれど、ジェンギスがお茶を淹れてくれている数分のあいだに、あっという間にお客さんが増えた。やはり人気店だったのだ。
サラダのこと、ジャスミンティーのこと、お礼を言わなきゃいけない。だけど、接客も調理もひとりでこなしているジェンギスは見るからに忙しそうで、話しかける暇もなくなっていた。
ありがとうと声をかけて、チップボックスに心ばかりのチップを入れた。ガイドブックに載っている「イギリスでのマナー」にのっとれば、正しい行動だったはずだけど、なんだか違うことをしたような気持ちがぬぐいきれないまま店を出た。
「エディンバラは人が優しいから」という彼は、愛する家族と故郷から離れ、遠い地に落ち着くまでに、どんな「優しくない」人に出会ってきたのだろう。
差別はいけません。そんなことわかってる。わかってるつもりでいる。だけどつい、他人のことを、肌の色で、話す言葉で、国籍で、判断したくなるときがある。コロナが流行り、自分自身が差別を受ける可能性もこれまでになく高まっている。
だから私は、シャキシャキのサラダと、一杯のオーガニックティーのことを、ジェンギスのGOODな親切のことを、だいじに覚えていようと思う。
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