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25歳、という年齢になって思うこと。

25歳社会人、独身、恋人なし。アニメ好きオタクでレズビアン。現在一人暮らしだが、家族仲はいい。でも言えないこともある、例えば私が同性を好きになるということも言えていない。(だが、帰省の際に私の本棚の同性愛関連の本が綺麗に整理されていたため、気づいていて触れていないだけの可能性も捨てきれていない)

このまま生きていくためには仕事を辞めることはできないし、結婚する見込みもないのでとぼとぼと日々を歩いてる。

ってか恋人欲しい。彼女欲しい。でも奇跡的に付き合っても、中々続かない。原因は、本音を話すのが苦手で笑って流してしまうから。そりゃあ付き合ってもつまらないと思う。

そんな自分を今、ものすごく変えたい。

小学生の頃、高校生はすごく大人に見えたことを覚えている。私も高校生になったら、あんな風に大人びるのだろうか。ミニスカートを履いて、肩で風を切って歩いてみたい、と漠然とした憧れを抱いていた。

中学生になった私には、学校が世界に思えていた。クラスではイジメのようなものもあり、今日の友は明日の敵という言葉をひしひしと実感した。その頃私は厨二病に罹患し、世界なんてどうでもいいと厭世的な思考を持って世の中を見つめていた。

その頃、私は初恋をした。廊下ですれ違う度にドキドキして、笑顔を見る度に顔が赤くなるのを感じた。彼女は可愛い笑顔を見せるバスケ部所属の女の子だった。保健体育の教科書で読んだ、異性に対する恋愛感情を同性に向けている自分に気づき、相当焦った。

高校生になった私は、子どものままだった。小学生の頃、憧れた女子高生像とはかけ離れていた。スカートは短くしていたし、オシャレにも相応に興味はあったけれど、どうしようもなく子どものままに思えた。誰にも恋をしていることを話せず、息苦しかった。男性芸能人で誰が好き?と聞かれても「?」だったので、阿部寛と答えていた。(阿部寛さんのホームページ好きです)

大学生になり、初めて彼女が出来た。ビアンオフ会で出会った年上の女性だった。彼女とセックスをした時に思った。これが、女の人とするこの行為が私にとっての自然だ、と実感してしまった。大学のときに、中学時代の親友にカミングアウトをした。最初は驚いていたけれど、あっそっか。という風に受け入れてくれてとても嬉しかった。その子は今も、自分のペースで話せていけたらいいね、と言ってくれていて大きな支えとなっている。

25歳になって思うことは、感受性が鈍ってきたなということだ。危機的状況。本当に鈍化してきた気がする。映画を見ても、テレビを見てものめり込めない。実際の生活でも、何を言われても気にならないし、言っとけ言っとけな感じで流せるようになった。愛想笑いも生きていくための知恵で私は今までそうしてきたけれど、結局愛想笑いは愛想笑いでしかないのだ。表面上は取り繕えるけど中身までは繕えない。私は恋人にも愛想笑いをしていたのかもしれない、反省。あと愛想笑いをしているとなめられる、面白いくらいになめられる。ってか挨拶してるんだから返すくらいはして欲しい、社会人として。

いやアンタになめられる筋合いはない、と思ってから無駄な愛想笑いはしないように心がけているが、習慣というのは恐ろしいもので笑顔を向けてしまうのだ。

でも思う。今度恋人ができたら、本音を話して、笑顔は本当に嬉しい時にする。そうやって関係を築いていけるように、私は今日も恋人のいない25歳の女として生きていく。





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