シモキタ”勝手にパブリック”
下北沢は、この街独特のパブリックスペースが至る所にある。
それは、自治体や電鉄によって”用意されたもの”ではなく、”勝手にみんなのパブリックスペースにしちゃった”場所。
予定調和を嫌う下北沢の人々は、偶然に面白くできあがった、
”勝手にパブリック”
なものを日々楽しんでいて、それが下北沢らしい風景を作っていると私は思う。
一方、”用意されたもの ”でも活性していた場所がある。下北沢ケージ。
井の頭線の高架に描かれた巨大アートが無くなった空虚さを、補ってくれるようなにぎわいの場所だった。
下北沢でイベントをやる外部の方からも評判のいい場所でした。(ケージは現在解体中)
最近買った本の中に、(再開発の文脈で)「街の”誇り”をデザインする」という言葉があり、下北沢の”誇り”って何だろうと考えた。
私が感じているのは、こんなこと。街の思想みたいなもの。
・予測や計算できないこと
・その日を楽しんで計画性がないこと
・勝手に面白いことが始まっていること
・ウチとソトの境界があいまいなこと
この「予定調和ファック!」的な考え方が、ひとつカルチャー面での誇りだと思った。
つまり、自分たちで遊びや価値を”勝手に”生み出すようなクリエイティビティが、下北沢らしさじゃないかと。
用意された下北沢は、すでに下北沢ではない。
「さぁどうぞ、これが下北沢(というパッケージ)ですよ」というチープなメニューはいらない。
そういうボヘミアンでアナーキーな思想が、この街のカルチャーの誇りなんじゃないか、と私は思う。
さいきん、新しい駅ビルができました。
イメージとしては・・・・・・・・・・ヒカリエぽいんですよね。渋谷の。
ピカピカで隙がない感じ。
街の人が着崩せる余白がないものができてしまったなー、という印象。
もっと”雑”でいいのに、と私は思う。
「隙だらけで親しみやすい」
これも下北沢のカルチャーなので、わたしは、そっちの方が居心地がいいです。
吉祥寺や渋谷や新宿にあるようなテナントが入った建物を毎日通過しながら、そういうことを思っています。
あくまでわたしの私的な想いですが。
かしこ。