変わった経歴 オーストラリア留学時代 TAFE
私は公立の高校を卒業後、オーストラリアに単身留学しました。
今回は、TAFE(州立の専門学校)と大学時代について書いていきます。
高校時代と語学学校/専門学校時代は以下の記事です!
TAFE入学後
シドニーにあったNew South Wales州の州立の専門学校である
TAFE(テイフと呼びます)のDiploma of Nursing(ディプロマオブナーシング)に入学します。
このDiploma of Nursingのコースは12か月のコースと18か月のコースがそれぞれありました。私は早く卒業したかったため、12か月コースを選択しました。
クラスはそれぞれ1クラス。12か月コースのクラスは18名全員全員留学生。
ネパール人が10名、フィリピン人が2人、ポーランド人1人、韓国人1人、マレーシア人1人、ウガンダ人1人、モリーシャス人1人で、日本人は私一人でした。
ちなみに18か月コースのクラスにはネイティブが何名かいました。
TAFE時代がオーストラリアに留学していた中で一番きつい時間だったと思います。
クラスに馴染むのにも時間がかかりましたし、授業のレベルも今までと比べ物にならないくらい上がったため、授業についていくのが精一杯でした。
看護学を英語で学ぶ、、、自分で選んだ道とはいえ、高校時代バリバリの文系だった私としては予備知識がないため英語で0から学ぶことになりました。
当時アルバイトもしていたため、休みの日は図書館で1日勉強!なんて日が続きました。
地獄だったC病院での実習
その中でも一番つらかったのが実習です。
実習生として割り当てられた病院・病棟で数週間働いて経験を積みます。英語ではClinical Placementと呼んでいました。
中でもC病院での4週間の実習がつらかった、、、
私はリカバリールーム(術後回復室)という手術を終えた直後の患者さんが運ばれてくる病棟に派遣されました。
手術直後の患者さんのため、まだ麻酔が効いている状態で、しかも完全に眠った状態で運ばれてきます。
なかなかまだ病態が安定しない患者さんが来るところです。そんなところに実習生である私が派遣されました。
結論から言うと、全然動けない、覚えられない私は邪魔者扱いされ、学校に違う「彼を部署に派遣してくれ」という要望が行きました。
看護師たちがすごい怖かった、、、特にNicoleとKate
おそらくこの名前と顔を忘れることはないだろう、、、
結果、手術室へ派遣されます。リカバリールームには結局1週間のみ。
残りの3週間を手術室で過ごすことになりました。
手術室への派遣になったはいいものの、実習生ができることは非常に限られます。
当然執刀医の隣に立って仕事をできるわけでもなく、部屋の片隅で手術を見るのみでした。
毎日の8時間勤務が異様に長く感じました。
そんなこんなで、4週間の実習を終了。
Deploma of Nursingも修了することができました。
最後の方は、授業についていくこともできるように、クラスにも馴染め、友達と映画を見に行ったりするようになりました。
このTAFE時代が一番つらい時期ありましたが、諦めずにやってよかったなと思います。
この時代があったからこそ、今があるためです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
次は大学時代について書きます。
それでは、また!