【旅行】2023年11月 神奈川県旅行記 4日目 横須賀編 Part.1【国内】
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4日目こと11月24日の朝は、ホテルで朝食をとって支度をした後に、JR鶴見駅からJR横須賀駅へと移動しました。
駅を出ると、雲一つもない快晴の空がお出迎え。さて、ここからゆっくりと海の方へと歩いて行きました。
JR横須賀駅の間近にあるヴェルニー公園。
そこは、幕末から明治時代にかけての間に渡って、横須賀海軍工廠やその他の近代設備の建設を指導したフランス人の技術者、レオンス・ヴェルニー(1873年~1908年)の名から付けらた公園です。
この公園はロマンティックな雰囲気の花壇や噴水だけではなく、旧海軍関係者の慰霊碑、ヴェルニー記念館、そして、海沿い全域にかけてまではガス灯を模した街灯がずらりと並んだ、横須賀港を望む歩道があります。
ヴェルニー記念館のすぐ側には、1943年(昭和18年)に主砲火薬庫の爆発事故(事件の可能性もあり)によって山口県の柱島沖で沈んだ旧日本海軍の戦艦 陸奥の主砲が置かれています。
以前は東京にある船の科学館にて展示されていたのですが、2016年にここへ移転されました。
海上自衛隊の艦艇が停泊している横須賀港を背景にして眺めると、まるで実際に陸奥の甲板に立っているかのような気分に。
せっかくなので、カメラに望遠レンズを装着して、横須賀港をじっくりと見る事にしました。
まずは海上自衛隊 横須賀地方総監部から。
この時は、あさぎり型護衛艦と潜水艦が並んで停泊している光景が見られました。
続いては、海上自衛隊 第2潜水隊群司令部。
こちらは無数のクレーンがずらりと並んでいるのが特徴で、写真の右にある艦艇は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦ヒギンズです。
ちなみにこのエリアの周辺にはアメリカ海軍の基地までもがあり、こちらは「日米親善よこすかスプリングフェスタ」や「日米親善ヨコスカフレンドシップデー」をはじめとした一般公開も兼ねたイベントが例年行われます。
日本の海上自衛隊の艦艇だけではなく、アメリカ海軍の艦艇までもが間近で見られる横須賀港は、私にとっては新鮮な場所でもあったので、色々と魅かれる物がありました。
この後、三笠公園の方へと向かってゆっくり歩きました。
この頃は言うまでもなく、11月下旬。
あともう一ヶ月でクリスマスという事で、クリスマスのオブジェも見られました。
しばらく歩いて、三笠公園に到着。
ここは、現在は博物館船として一般公開されている、旧日本海軍の戦艦 三笠が目印でもある公園です。そして、三笠のすぐ側には、後に行った猿島を行き来する連絡船のターミナルなどもあります。
三笠の姿が見えた時、もうわくわく感が止まりませんでした!
戦艦三笠は1899年(明治32年)にイギリスのヴィッカース社で建造された前弩級戦艦で、「敷島」「初瀬」「朝日」と言った、3隻の同型艦も同じくイギリスで建造されています。
それら4隻の中で、現存しているのがこの三笠。よく見ると、船体そのものがアスファルトで固定されていますが、これは関東大震災によって岸壁に衝突し、後に浸水着底してしまったのが原因です。
この時、船そのものを解体する方針もありましたが、国民の保存運動によって記念艦として保存する事が決まり、底を大量のアスファルトで固定して保存された事で、現代に至っています。
戦艦三笠と言えば、忘れてはいけないのが、日露戦争で活躍した旧日本海軍の軍人、東郷平八郎(1848年~1934年)。
日露戦争においては、連合艦隊司令艦長として腕を振るい、満洲軍総司令官の大山巌と並んで、日本の勝利に貢献した人物でもあります。
ちなみに大山巌とは同じく、薩摩藩(鹿児島県)出身。
日露戦争勝利後は、同盟国だったイギリスのジャーナリストからは「東洋のネルソン(アメリカ独立戦争やナポレオン戦争で活躍したイギリス海軍の提督、ホレーショ・ネルソンにちなむ)」と称えられました。
船首より望む。
迫力と威厳溢れる雄姿は、凄まじい物でした。
日の丸の旗と、本物の太陽が並んでいるのも、良い感じ(ちなみに構図を事前に意図せずに、偶然撮れた物です)。
艦内の見学チケットは、事前にWeb予約していた為、すんなりと艦内に入りました。
ちなみに記念船をこれよりも前に見学したのは、2017年の函館サイクリング一人旅での、青函連絡船 摩周丸が最後だったのですが、その事を思い出しながらも、ワクワクした気分で艦内へと入っていきました。
次回
【旅行】2023年11月 神奈川県旅行記 4日目 横須賀編 Part.2【国内】
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