恐ろしの官能小説家 ~「愛しの官能小説家」より~ ゆりの菜櫻
恐ろしの官能小説家
~「愛しの官能小説家」より~
ゆりの菜櫻
思わず幸久の手から文庫本が滑り落ちる。
本は音を立てて、絨毯の上に落ちた。表紙には元先輩検事であり、様々な誤解を経て、現在は恋人でもある藤沢弘信のペンネーム、藤沢ヒロの名前がでかでかと記されてある。
落とした本は、藤沢の大ヒットシリーズ、『爆乳(ばくにゅう)、もっと乳(ちち)ください』、通称『ばくちち』の最新刊だ。
「ふ……ふ、ふふふ……藤沢さ……ん……藤沢さんっ!」
幸久は心の底から叫んだ。
「なんだ? 幸久。そんなに大声出さなくても聞こえるぞ」
気分転換だと言って、仕事部屋ではなく、リビングで著者校をやっていた藤沢の呑気な声が返ってくる。
「これは何ですかっ!」
「何ですかって……今度出る、シリーズ最新作だろ? そう言って渡したじゃないか」
「そ、そういう意味じゃないです! この内容は何ですかっ……」
今回の『ばくちち』のヒロインは、シングルマザーで、乳児を抱えて暮らしている。主人公の男性はそんな女性とめくるめく官能の世界を繰り広げ、濡れに濡れるという代物だ。しかし―――。
男性はずっとその女性に片思いだと思って付き合っていたが、実はその女性は男性のことを愛しており、紆余曲折の末、ハッピーエンドとなるのだ。
そう、その話の展開は、つい先日、自分の身の上に起きた出来事だった。
「こ……これ! 藤沢さんと僕の実話に近いじゃないですかっ!」
思わず、リビングのテーブルへと擦り寄る。
「まあな、参考にしたし」
「女性の名前が幸子って……僕の名前が一字入ってるし、職業が検事ではないですが、弁護士というのも引っ掛かります!」
そう抗議すると、藤沢が頭をぼりぼりと掻きながら、うーん……と軽く唸った。
「だけど俺は、より幸久に近いほうが萌えるし?」
なんですとっ!
「大体、以前から、このシリーズはお前をモデルにしたから成り立っているわけだし?」
それこそ先日、幸久はこのシリーズが自分をモデルにして書かれていると知ったばかりだ。息も止まりそうな事実に、目を剥いた幸久だったが、藤沢の大ヒットシリーズをやめろとも言えない。そんなことを言ったら、藤沢の担当、鈴木が首を吊りかねない。
それに、これまでの『ばくちち』は、藤沢の妄想が織り成すイリュージョンでしかなかった。まったくの虚構だ。だから、百歩では足りないが、どうにか百万歩譲って見知らぬ振りをすることにした。
しかし今回は違う。正真正銘、藤沢と幸久が恋人として付き合いだしてから書いた新作で、そこに何だかんだと、人には知られたくない実際にあったことが書かれてあるのだ。しかもフィクションもに巧みに混じっているので、どこまでが真実なのか、他人にはわからない。
もしかしたら全部本当の話だと思われるかもしれない。
「大丈夫だ。誰もこのばくちち幸子がお前だって気付かないさ。気付く奴がいたら、それは桐生だけだ」
「桐生先生が気付くのは駄目ですっ!」
桐生に全部本当だと誤解されては、これから仕事で顔を合わせたときに、とてもでないが平常心が保てるとは思えない。
「そんなに心配するな。今回のヒロインは、シングルマザーで、乳児がいるんだ。お前とはなかなか結びつかないさ」
そうなのだ。今回のヒロインは少し藤沢の作品としては特殊だった。
「……確かに、藤沢さんの作品としては変わってますよね。今回のヒロインの設定」
そう返答すると、藤沢がニヤリと嫌な笑みを零した。
途端、幸久の背筋にゾゾッと悪寒が走る。
「いやな、お前の下半身を弄ってて、そこから蜜が出るのに興奮したから、今回のヒロイン、母乳が出る設定にしたんだよな」
え?
「幸久の下半身を咥えたときのあの興奮、ヒロインのおっぱいをむしゃぶるのに使えたしなぁ。とにかくお前の下半身とヒロインのおっぱいを重ねてみたら、そりゃ、筆が進む、進む」
へっ!
「もう、ヒロインの乳頭の割れ目に爪を立てるシーンなんて、お前の鈴割に爪を立てたときのことを思い出して、俺も達きそうになった。あれはヤバかった。お前色っぽかったもんなぁ」
ひっ!
「それに、ヒロインの乳首からが母乳が滲み出るところを書いていたら、まさにお前が焦れて腰を振る姿を思い出しちゃって、もう俺の坊主が暴走しまくって大変だったぞ」
ぎゃああっ!
幸久は心の中で悲鳴を上げた。
誰か、この男の暴走を止めてくれっ!
「やべぇ……」
え……?
幸久がパニックになりかかっていたところに、どうしてか藤沢が切羽詰ったような声で呟いた。
それで幸久もなんとか我に返り、彼の手元の原稿に目を移した。
「藤沢さん、何か原稿でまずいところでも?」
「思い出したら、勃ってきた……」
「な、な……そんなの、自分で処理してくださいっ!」
「自分で処理するか。まあ、もちろん幸久にも手伝ってもらうけどな❤」
「ぎゃあっ!」
こうして藤沢の著者校が遅れ、担当の鈴木がまた泣くはめになるのは言うまでもない。
官能小説家は恐ろしい。
END
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