お金なし貯金なしで4人目出産体験記
育児で一番辛かったとき、というのが誰にでもあると思います。
私にとってはワースト1は
1人目の産後3週目。1日30分しか寝れない、それが3週間続きました。
しかも布団に横になれずに椅子に座ってうとうとと寝るのにやっと、という状況。
そのときまだ19歳でしたが、そのときまでは不登校で学校に行けないときが一番辛かったのでそれより辛かったという記憶です。
そしてその次ワースト2が
4人目妊娠と上の子3人の育児の時期でした。
3人目まで、学年2つ違いで生まれたのですが年子に違い間隔だったので、1人目がやっと幼稚園に通い始め、やっとラクになれたと思った矢先に起こった妊娠でした。4人目は完全に年子。正直、そんな妊娠を喜べる気にはなれませんでした。
というのも
そのときはというとまだ3人目の授乳中だったので朝までぐっすり寝ることが出来ない、2人目は夜泣きで起きる、そんな体力的にギリギリの中で早くしなさい!と怒鳴りながらやっと幼稚園に送り出すという生活。
シンクは常に山盛りの洗い物、洗濯物は畳めず部屋に散らかり放題。お風呂だっていつ洗ったのかなんてわからないし掃除機もかけたのは月1回ぐらいというようなぐちゃぐちゃな家の中。
食事は座って食べた記憶がないです。というか、毎日何してたのか記憶もあんまりないです。そんな生活です。
既婚者で予期せぬ妊娠をした場合、3人目か4人目で中 絶する方が多いようです。
体力的に、経済的に、いろんな限界を感じて、そういう決断をされるようです。
ゆりんごももれなく同じように悩みましたが、正直なところ手術するお金すらなかったので、産む決断をした、という感じです。
つわりもふつうにありましたので、記憶がないですが多分、ごはんと味噌汁しか毎日作れなかったと思います。
そんな経緯がありながら、お金なし貯金なしでどうやって出産するかという生活がスタートしました。
手持ちのお金も貯金もないのに出産だなんてギャンブルみたいなものかもしれません。
私は必死に最低限のお金でどうやって出産すればよいのか色々ネットや本で調べました。
まず、病院での出産は平日の日中が一番安い。だから平日の日中に産もうと勝手に決めました。
それから、入院とか切迫早産とかトラブルが起きるとお金がかかるので、健康的な妊娠生活を送ることを心がけること。
母子手帳にかいてあるようなごく一般的なことではありますが忠実に従っていたと思います。
あとは思い通りの人生にする方法だとか、そういう本をたくさん読みました。そんなに本を読んだのはそのときが人生で初めてだったかもしれません。このときから、スピリチュアルな世界を信じるようになりました。
そのときは正しい願望であれば瞑想と写経で思い通りの人生になれるというようなことを信じていたのでただひたすら実行。
安産祈願も兼ねて写経頑張りました。
瞑想は3人子どもを見ながら時間を必死にみつけて100日間連続の瞑想を達成出来ました。
齋藤一人さんだとか小林正観さんのような昔ながらの自己啓発も忠実に実行して
与えればあたえられるとか
ありがとうの念仏とか
そういうやつ。
経済面でも節約頑張りました。
食事は最低限のものしか食べなかったし、子どものおやつはもらいもので済ませたり、後はどこに行くにも歩いたり地道ですけどそういうふうに過ごしていました。
そしたら妊娠中から引き寄せなのか、欲しかったものを近所の人からもらったり、ということが次々と起こりました。
赤ちゃんマタニティ用品は上の子のときのものを使うのはもちろん、ママ友からおさがりをもらったり自分で買うにしてもすべて中古ショップで揃えました。
事故にあうとか物が壊れるとか無駄なお金が出て行くこともなくなりました。
それまでしょっちゅう、長男が入院したり喘息の発作がでてたり、病院にも毎日のように通っていましたが、その回数も減っていきました。
小さな良い引き寄せがいくつか起こり、変わらずに様々な精神世界のことを色々実行し続け
もうこれやるだけやったんだからあとは天にお任せ!というところまできたとき
ちょうど臨月でした。
何事もなく母子ともに順調で
臨月は穏やかに過ごしていました。
私は毎日、お腹に向かって平日の日中に産まれてきてねと話かけたり思ったりしました。
あとでこのことに妊婦の友だちに話すと5人くらいの人が、本当に話しかけたとおりの希望の日に生まれたよ!という嬉しい報告も聞くことが出来ました。
お腹の赤ちゃんに向かって生まれて来てほしい日時や理由を話しかけると本当にそのとおりに生まれて来てくれるんですよ。
そしてみごと平日日中に分娩。
分娩時期と同じ頃、主人の昇級と昇格も決まり嬉しいことが続きました。
出産一時金と出産費用が値上がりする直前に分娩出来たので当時の出産一時金でおつりが来ました。確か2万円くらい。
それで、結論。
お金なし貯金なしでどうやって出産を乗り越えたか?といわれると具体的にこれといえるようなことはないんですが
やろうと考えて行動したというより
出来てしまった、という感じです。
多分、考えながら無料で得られる知識をフル活用して出来るように頑張れたのかなと思います。
あのとき、4人目って一番欲しくなかった。それは4人目の子に面と向かってはやっぱり言えません。
でも、今ではその一番欲しくなかった子がゆりんご家で一番優秀でイケメンで(親としてはそう思わないのですがまわりからしょっちゅう言われるんです、ファンがいるぐらい)
学校でも人気者で、努力家で、勉強も出来て親に似ず意外なほど凄い子に成長しています。
あのとき、親のエゴで中 絶という道を選ばないで良かった。産んで良かったと、今では心からそう、思うことが出来ています。
それ以来相変わらず、この世の真理とか法則とか引き寄せとか信じています。目に見えない世界というものを学び続けています。
子どもは一生を生きぬくだけの食い扶持を背負って生まれてくる、ということをゆりんごは身をもって体験できたことの1つであります。
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