#3 お気に入りの本 田中芳樹「アルスラーン戦記」
本は体験のきっかけなのだとつくづく思う。
人並みに本を読み続けてきたとは言えないが、
本があるから繋がった、と思える出来事が
たびたびある人生だと思う。
わたしとの歴史が長い本を、
「お気に入り」と称するには
少し可愛すぎる気がしないでもないが、
まずは出会いから紹介していきたいと思う。
本との接点は「天野喜孝」
1991年は 湾岸戦争という怒涛の幕開けがあり、
平成という新しい元号になったこともあって、
大丈夫かなあと、先行きが心配になった年だった。
近所の小道にある、
薄暗くて中年の男性1人が営む小さな古本屋。
当時小学校5年生のわたしは
おこづかいで買えそうな漫画を探していた。
当時
スーパーファミコンが大ブレークしていて、
わたしも親の機嫌を伺いながら
どっぷりはまっていた。
その1つが「ファイナルファンタジーIV」
世の中にはこんな面白い世界があるのか、と
攻略本を隅々まで読み
ゲーム中のセリフをすべて
お絵描き帳に書きうつすほどの
ハマりっぷりだった。
学校では
紙袋に包んでの漫画の貸し借りが頻繁にあり、
漫画が一般的なエンタメとして
受け入れられる年頃でもあった。
少女漫画から、ファンタジーの世界へと
足を進めていったわたしは
薄暗い古本屋で1冊の本が目に留まる。
(この本、天野喜孝さんなんだ)
手に取った文庫本の値段をみると200円。
お小遣いで買える値段だった。
ぱらっとみると
カラーイラストと何枚かの挿絵があり、
文体からは
小学生ながら読みにくさを感じなかった。
さきほどまでその本があった棚を再度見ると、
文庫本は3巻、4巻と続いており、
表紙はすべて美しい天野喜孝イラストで描かれていた。だけど、1巻がない。
(2巻だけど、いっか。いつか1巻を買おう)
母のお手製で
巾着のようなお財布から200円を取り出して、
店主にわたす。
「200円です」
「お願いします」
「はい、ありがとう」
見た目は無愛想っぽい中年男性店主だが、
声質はクリアだった。
本を買ったわたしは、
これまた母お手製の手提げカバンに入れて
自転車を漕いで、自宅に戻った。
これが、
わたしとこの本との「歴史」の始まりだ。
一緒にいたい気持ちが「お気に入り」
原作者の田中芳樹は、これまでの自身のファン層よりもターゲットを年齢を下げたいという編集者との打ち合わせをしていたとの発言していた記憶があり、まんまとわたしはその策略(読みやすさ・キャラクター設定など)にのっかってしまった。
大人になった今
本との出会いは、
その時の自分と密接な関係にあると思っている。
心身が疲れている時はそもそも本は読みにくいし(読めないし)
ハマりたい時には、
読み込みたい作品を無意識に選んでいる。
本屋をフラフラできるほどの経済力があれば、
新しい出会いがあるし
勉強などで、当時さほど興味のない本でも
しばらく手元におくことがあったりする。
そんな感じで
この作品とわたしの出会いも、
偶然であり、必然だったのかもしれない。
こういった条件がうまく噛み合って、
この本に出会えたのだと思うと感慨深い。
そして、この本との出会いによって、
その先もさまざまな歴史を共にすることになる。
この作品がきっかけで
アニメイトデビューをし
アニメイベントにも参加し
ファンタジー小説の開拓をすすめ
(時代の波もちょうどよかった)
声優にも目覚める
また、
未完のまま長期待機という状態や
挿絵担当が変わる事態にも直面した。
本は面白さだけでなく、
ある種の裏切りもあるのだ。
なにより、
数々の引越しにも乗り越えてきてくれた
数少ない本である。
わたしにとって「お気に入り」とは
ただ、手元においておきたい
という気持ちなのかもしれない。
この作品を最後まで読んでいない理由
エッセイの題材にしたほどお気に入りで
完結している作品なのに、
わたしはこの作品を最後まで読んでいない。
その理由としては、
10巻から11巻の間に6年かかっており、
ちょうどその期間、
自分は本を読めない状態で
そのままずるずると今に至っているためだ。
作品の最後を見届けたい気持ちはある。
その一方で、
「ああ、どうなるんだろうなあ、この作品」
という気持ちの歴史が、わたしにはあるのだ。
めんどくさい。それもまた一理。
この先もどうぞよろしく。
Discord名:佐々木ゆり
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