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教科書だけで解く早大日本史 2021文化構想学部 6

2021文化構想学部編の第6回です。〔Ⅱ〕の残り4問を見ていきます。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

◎7 1811年に設置した洋書などを翻訳する組織

漢字6字指定の記述問題です。

 洋学では、幕府が天文方の高橋至時に西洋暦を取り入れた寛政暦をつくらせた。また天文方に蛮所和解御用を設け、至時の子高橋景保を中心に洋書の翻訳に当たらせた。元オランダ通詞の志月忠雄は『暦象新書』を著し、ニュートンの万有引力説やコペルニクスの地動説を紹介した。(245頁)

正解は、「蛮書和解御用」です。

天文方の高橋景保は『新訂万国全図』を作成し、ケンペルの『日本見聞記』を翻訳しました。のちにシーボルト事件で投獄され牢死します。

蛮所和解御用は、幕末に洋学所(1855)→蕃書調所(1856)と改称され、洋書調所(1862)→開成所(1863)と変化していきます。明治に入り、開成学校(1868)→大学南校→東京開成学校を経て、東京大学(1877)に統合されました。

注意してほしいのは、「蛮」書和解御用と「蕃」書調所の漢字です。漢字指定問題は書き間違えないように注意が必要です。

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ほんと、注意してくださいね。自己採点でうっかり〇にしないようにしましょう。

◎8 文明開化について 正しい文2つ

ア 暦を太陽暦に改め、1週間を7日と定めた。
イ 五榜の掲示を定め、キリスト教の布教を容認した。
ウ 東京や横浜で、鉄筋コンクリート造りの洋館が建てられた。
エ 天賦人権思想が紹介され、自由民権運動に影響を与えた。
オ 教部省を設置し、アメリカにならった学校制度を導入した。

正しい文を2つ選択する問題です。

時系列でみていきましょう。

一方で政府は、五箇条の御誓文公布の翌日、全国の民衆に向けて五榜の掲示を掲げた。それは君臣・父子・夫婦間の儒教的道徳を説き、徒党・強訴やキリスト教を改めて厳禁するなど、旧幕府の対民衆政策をそのまま引き継いでいた。(262頁)

五榜の掲示では、「キリスト教を改めて厳禁」しています。「容認した」とするイは誤文です。これにより浦上教徒弾圧事件などがおこり、列強の抗議によって、1873(明治6)年にようやく切支丹禁制高札が廃止されます(271頁)。

教育の面では、1871(明治4)年の文部省の新設に続いて、翌72(明治5)年に、フランスの学校制度にならった統一的な学制が公布された。(270頁)

オは「教部省」「アメリカ」が誤りです。正しくは「文部省」「フランス」です。ただ、この学制に対しては、学制反対一揆などもあり、1879(明治12)年に教育令が公布されて廃止されます。さらに1886(明治19)年に森有礼文部大臣のもとでいわゆる学校令が公布されます。

東京の銀座通りにはレンガ造りの建物が並び、ガス灯・鉄道馬車などが東京の名物となり、牛鍋が流行した。(271頁)太字は引用者による

文明開化期に建設されたのは「レンガ造り」の建物です。鉄筋コンクリート造りの建物が現れるのは大正時代です。ウも誤文でした。

残る、アとエが正解です。

1872(明治5)年12月には、西洋諸国の例にならって暦法を改め、旧暦(太陰太陽暦)を廃して太陽暦を採用し、1日を24時間とし、のちには日曜を休日とするなど、長いあいだの行事や慣習が改められた。(271頁)

「1週間を7日と定めた」と明言されていませんが、「日曜日」から十分に推定可能です。

天賦人権の思想④ 万人には生まれながらに人間としての権利(自然権)が備わっているという考えで、これがのちの自由民権運動指導理論の一つとなった。(269頁 脚注④)

この時に導入された天賦人権の思想とのちに大日本帝国憲法が規定した恩賜人権の間には格差がありましたが、少なくとも人権と立憲主義は世界共通のスタンダードな思想であり、これに基づかない社会は国家として認められない時代でした。これは大戦時の蹂躙を乗り越えて、いまの社会にも引き継がれています。政権担当者による「ヨーロッパの一時期にのみ現れた特異な思想」などというレッテル張りは許されません。

◎9 『憲法講話』で有力な憲法学説を唱えた学者

漢字指定の人名記述問題です。問題文は、

『憲法講話』を著し有力な憲法学説を唱えたものの、国体明徴声明によって学説を否定された学者は誰か

です。人物名の重要度で言えば高校入試に頻出レベルですので確実に正解したい問題です。

1912年7月、明治天皇の死去にともない、大正天皇が即位した。また、この頃、東京帝国大学教授の美濃部達吉が『憲法講話』を刊行し、天皇機関説や政党内閣論を唱えたことで、新時代に対する国民の政治的関心が高まった。

正解はもちろん「美濃部達吉」です。彼の天皇機関説は2020年度に政治経済学部で出題された吉野作造の民本主義と並んで、大正デモクラシーから政党政治期の中心的理論となりました。

しかし、昭和に入り、五・一五事件を経て政党政治が終わって軍部の発言力が増すと、美濃部達吉の憲法学説は攻撃を受けるようになります。

 かねてから美濃部達吉の憲法学説は右翼の攻撃を受けていたが、1935(昭和10)年、貴族院で軍出身議員の菊池武夫がこれを反国体的と非難したのをきっかけに、にわかに政治問題化した(天皇機関説問題)。
 天皇機関説はそれまでの明治憲法体制を支えてきたいわば正統学説であったが、現状打破をのぞむ陸軍、立憲政友会の一部、右翼、在郷軍人会などが全国的に激しい排斥運動を展開したので、岡田内閣は屈服して国体明徴声明を出し、天皇機関説を否認した。こうして、政党政治や政党内閣制度は、民本主義と並ぶ理論的支柱を失った。(350頁)

自らの思想に反する考えを表明する人たちに「反日」だという「レッテル張り」をする元首相、自らの政策に批判的な学者を学術会議から排除する現首相を見ていると、美濃部達吉の正統学説に「反国体的」のレッテルを張って学説そのものを追放し、軍部のやりたい放題へと向かっていった歴史を思い出さずにはいられません。

◎10 1990年代に起きた出来事でないのは

ア 自衛隊が初めて海外へ派遣された。
イ 阪神・淡路大震災が発生した。
ウ オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。
エ 消費税が導入された。
オ バブル経済が崩壊し、金融機関の破綻が続いた。

1990年代に起きた出来事でないものを選択する問題です。

大型間接税は、竹下登内閣のもとで消費税として実現し、1989(平成元)年度から実施された。(409頁)

消費税導入は1989(平成元)年4月です。竹下登内閣での導入当初の税率は3%でした(竹下登は早大OB)。1997年に橋本龍太郎内閣で5%に増税、2010年代に安倍晋三内閣で→8%→10%の二度の消費税大増税が実施されました(増税合意は野田佳彦内閣、野田佳彦は早大OB)。

正解はエでした。

アの自衛隊海外派兵の最初は1992年のカンボジアPKO(411頁)
イ、ウはともに1995年(413頁)
オのバブル経済崩壊は1990-1992年にかけて(412頁)

現代の近くまで来ると、政治経済の守備範囲になって日本史教科書だけだと正解しづらいのですが、これくらいメジャーな事項だと本文に掲載されています。

以上で〔Ⅱ〕は終了です。◎6〇3△1でした。

次回から〔Ⅲ〕に入ります。〔Ⅲ〕は都市の歴史についてのテーマ史が出題されました。

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