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教科書だけで解く早大日本史 2021商学部 17

2021商学部編の第17回です。残すところあと2回です。

※大学公式ページで問題を確認してください。執筆時未掲載

※東進データベースは要登録です。執筆時未掲載

◎問E 「特需」に関わる文章 誤っているもの1つ

1. 朝鮮戦争をきっかけとしているので、朝鮮特需という。
2. アメリカ軍に対する武器・弾薬・機械・車両の製造や修理などが需要の中心であった。
3. 1950~1953年の間、最初の1年間は繊維や鋼材の需要が多かったため、「糸へん・金へん景気」と言われた。
4. 特需景気であったが、実質国民総生産額が戦前(1934~1936年の平均)の水準に回復するのは1955年となった。
5. 1950年6月~1956年6月の間、物資では兵器・石炭、サービスでは建設・自動車修理などの契約高が多かった。

日本経済はドッジ=ラインによって戦後のインフレを終息させましたが、1949年頃から不況が深刻化し、中小企業の倒産や失業者が増大します。

そこに、1950年6月、北朝鮮軍の韓国侵攻によって朝鮮戦争が勃発したことで、日本経済に特需景気がおこります。

【朝鮮特需と経済復興】日本経済は、ドッジ=ラインと呼ばれる経済安定政策によって深刻な不況におちいっていたが、1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争で活気を取り戻した。武器や弾薬の製造、自動車や機械の修理などアメリカ軍による膨大な特需が発生したからである。また、世界的な景気回復の中で対米輸出が増え、繊維や金属を中心に生産化が拡大し、1951(昭和26)年には、工業生産・実質国民総生産・実質個人消費などが戦前の水準(1934~36年の平均)を回復した(特需景気)。(392頁)

「1951年には…戦前の水準を回復した」とあるように、誤りがあるのは、4の「1955年となった」です。

それ以外はすべて正しい文章です。

1と2については「教科書」本文の引用の通りです。また、5については、同ページに「おもな物資およびサービスの契約高」という表があり、物資では「1位兵器、2位石炭」サービスでは「1位建物の建設、2位自動車修理」となっています。ここで確認することができます。

なお、3についてですが、「教科書」には「繊維や金属を中心に生産が拡大」とだけ書かれていて、「糸へん・金へん景気」という名称はありません。こちらは「用語集」358頁の「特需」の項目で確認できます。

正解は「教科書」本文で確定できますので◎です。


◎問F 神武景気以降の景気拡大期とその時期の内閣総理大臣の組み合わせ 誤っているもの1つ

1. 神武景気 ー 鳩山一郎
2. 岩戸景気 ー 石橋湛山 
3. オリンピック景気 ー 池田勇人
4. いざなぎ景気 ー 佐藤栄作
5. 列島改造ブーム ー 田中角栄

各景気の期間については、「教科書」の本文や脚注、グラフなどで確認できます。

神武景気 1955~57(昭和30~32)年
岩戸景気 1958~61年
オリンピック景気 1964~65年
いざなぎ景気 1966~70年
列島改造ブーム 1972~73年 いずれも394頁

つぎにそれぞれの年代での内閣総理大臣を見ていきましょう。

 保守合同後の第3次鳩山内閣は…「自主外交」をうたってソ連との国交回復交渉を推進し、1956(昭和31)年10月には首相自らモスクワを訪れ、日ソ共同宣言に調印して国交を正常化した。(389頁)

まさに神武景気の真っただ中である1956年時の内閣総理大臣が鳩山一郎です。鳩山は1954年に日本民主党を与党として組閣し、1955年の自由民主党誕生で初代総裁となって第3次内閣を組閣します。

つづけて、なべ底不況を抜けた後の岩戸景気は1958~61年です。この時期にはなんといっても1960年の安保改定があるので岸信介は確定ですが、選択肢にある石橋湛山は入るでしょうか。

 鳩山一郎内閣のあとを継いだ石橋湛山内閣は、首相の病気で短命に終わった。1957(昭和32)年に成立した岸信介内閣は…(中略)交渉の結果、1960(昭和35)年1月には日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)が調印された。(389頁)

早稲田大学を卒業後、東洋経済新報社で小日本主義の立場から日本の満州への進出を批判したことで知られる石橋湛山は、戦後、第2代自民党総裁となり組閣しますが、脳梗塞のため退陣し、わずか65日の在任でした。岩戸景気の時期にはすでに岸信介内閣へと変わっています。

誤っているのは、2の「岩戸景気ー石橋湛山」でした。

その他はいずれも正しい組み合わせです。

1960年7月、岸信介のあとを受けた池田勇人内閣は「寛容と忍耐」「所得倍増」などをスローガンにして経済政策に乗り出し、中国との民間貿易=LT貿易を実現します。1964年の東京オリンピックを見届けて退陣します。

ついで岸信介の実弟である佐藤栄作が1964年に組閣します。1972年まで3期7年半以上にわたる長期政権となりました。いざなぎ景気の時期に相当します。日韓基本条約(1965年、1次)、小笠原返還(1968年、2次)、沖縄返還(1972年、3次)を実現し、退陣後の1974年にノーベル平和賞を受賞しています。

佐藤内閣のあとを受けたのは、「日本列島改造論」をかかげた田中角栄でした。全国の高速道路、新幹線の整備による列島改造政策は、列島改造ブームを引き起こし、土地と株式への投機がおこり、地価が暴騰します。しかし、1973年の石油危機を受けて、1974年には戦後初のマイナス成長となります。

今回はここまでです。

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