教科書だけで解く早大日本史 2021人間科学部 4
2021人間科学部編の第4回です。今回から大問Ⅱに入ります。
大問Ⅱでは鎌倉幕府の法律用語や訴訟手続きを解説した『沙汰未練書』の一部を史料として使った問題となっています。
※大学公式ページで問題を確認してください。
※東進データベースは要登録です。
〇問1 「これをもって( 1 )問( 1 )答の訴陳状を為すなり」
ア 自 イ 他 ウ 一 エ ニ オ 三
史料の中の一節「これをもって( 1 )問( 1 )答の訴陳状と為すなり」の空欄( 1 )を埋める問題です。
史料ではこの部分に先立って、
一 本解状とは、最初の訴状なり。又申状とも云う。
一 初答状とは、初陳状なり。又初陳とも、又支状とも云う。
一 ニ問状とは、重ねての訴状なり。又重申状とも云う。
(中略)
とありますので、鎌倉幕府の訴訟の仕組みについて書かれていると思われます。
アの「自問自答」やイの「他問他答」が答えになるとは到底思えない上に、繰り返し「状」を出していることから「一問一答」ではないことも想定されます。この流れならオの「三問三答」が妥当だと思われますが、この連載の主旨は「教科書だけで解ける」かどうかの判定です。
訴訟制度の仕組み
訴人から幕府に訴えがあると、問注所で訴状が受理され引付に回されたのち、訴えられた論人に対して陳状の提出が命じられ、以後、三問三答のやりとりがある。その後、引付会議で対決がおこなわれ、審理が尽くされて評定会議で判決が出され、将軍の下知状が勝訴したものに与えられる。(104頁 資料解説)太字は引用者による
「教科書」104頁左上に訴訟制度の仕組みが解説してある資料があり、そこでの説明文で「三問三答」という語がでてきます。この資料自体は2006年検定版からあったのですが、現行版に解説文がついて「三問三答」が説明されているのに今回初めて気が付きました。
そういうわけで、やはり正解はオの「三問三答」でした。
「敏速で公正な裁判につとめた」(104頁)とあるように、所領などに関する争いを公平に裁くことは幕府の信用にかかわる問題でした。それを前例を無視して恣意的に操った後醍醐天皇の親政(新政)がすぐに崩壊した理由もわかるでしょう。
手続きを軽視する勢力には(遅かれ早かれ)必ず裁きの鉄槌が振り下ろされるのです。
×問2 (空欄補充)
「( 2 )とは政務の御代官なり」「( 3 )とは、洛中警固ならぶに西国成敗の御事なり」
ア 得宗・六波羅探題
イ 得宗・鎮西探題
ウ 執権・六波羅探題
エ 執権・鎮西探題
オ 政所・六波羅探題
カ 政所・鎮西探題
こちらも『沙汰未練書』の空欄補充問題です。( 2 )( 3 )に入る言葉の組み合わせを選ぶ問題です。( 2 )の候補は、「得宗」「執権」「政所」の3つ、( 3 )の候補は、「六波羅探題」「鎮西探題」の2つです。
まずは、空欄部分をもう少ししっかり見ておくことにしましょう。
一 両国司とは、武蔵・相模両国の国司の御名なり。将軍家( 2 )の御事なり。( 2 )とは政務の御代官なり。又両所ともこれを申す。ただし武蔵守・相模守、時により官爵定まらず。
一 ( 3 )とは、洛中警固ならびに西国成敗の御事なり。
「将軍家( 2 )の御事」「( 2 )とは政務の御代官」とありますので、どうやら北条氏嫡流を意味する「得宗」は候補から除外してよさそうです。政所は政務を扱う機関でしたので保留、執権は北条義時以降は政所と侍所の長官を兼ねる役職となりましたので、こちらも保留です。
( 3 )は「洛中警固」「西国成敗」を任務とする機関です。まずはこちらから片付けましょう。
(承久の)乱後、幕府は皇位の継承に介入するとともに、京都には新たに六波羅探題をおいて、朝廷を監視し、京都の内外の警備および西国の統轄にあたらせた。(102頁)
( 3 )に入るのは六波羅探題です。承久の乱後に設置された六波羅探題は南北2つあり、初代は北条義時の弟の北条時房と息子の北条泰時が長官となりました。京都守護に代わって設置されたものです。
鎮西探題は蒙古襲来後に北条氏一門が長官となって「九州地方の政務や裁判の判決、御家人の指揮」(109頁)にあたった機関です。
これで( 3 )は「六波羅探題」だとわかりました。
あとは( 2 )ですが、こちらは「教科書」では判定不能です。「将軍家( 2 )」につながる言葉であることから、「得宗」ではないことは確かです。得宗は「北条氏嫡流の当主のこと」(109頁 脚注①)です。
次に「政所」ですが、そもそも政所とは「三位以上の公家の家政機関」(「用語集」85頁)のことです。「将軍家政所」ならば意味は通ります。
しかし、「( 2 )は政務の御代官なり」「両国司」から、( 2 )は一人(もしくは少数)の人物がついている役職が入ると思われます。「両国司とは…将軍家政所の御事」は成立しません。
したがって、( 2 )に入るのは「執権」となります。
北条氏は執権の地位を独占し、武蔵守・相模守の地位を代々継承していきました。
「用語集」で「政所」の意味を調べれば、政所が不適切なことはわかるかもしれませんが、史料との整合性を判定しなければならないという点で×評価とさせていただきます。
今回はここまでです。
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