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教科書だけで解く早大日本史 2021人間科学部 15終

2021年人科編の最終回です。大問Ⅴの残り2問を見ていきます。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

◎問7 下線部eの詔書の発布やその前後の時期のできごとに関する記述として、誤っているもの1つ

ア この詔書は、第2次桂太郎内閣によって発布された。
イ 史料Dで言及されている運動は、農商務省が中心となって推進した。
ウ 旧村落の青年会は、町村ごとの青年会に再編された。
エ 旧村落の神社は、神社合祀令によって統廃合が進められた。
オ 全国各地に分立していた在郷軍人会は、新たに創設された帝国在郷軍人会に統合された。

下線部eの「聖旨」を、設問では「詔書」と書き換えています。「殖産興業・富国強兵政策の一環」として出された詔書では「民力の涵養と風紀の振興」が「国運の発展を図るの途」として、「一般国民に向て奢侈の弊を誡め、倹素の風を奨める」と述べています。

これは、1908(明治41)年に出された戊申詔書です。

政府は、1908(明治41)年、勤倹節約と皇室の尊重を国民に求める戊申詔書を発して、列強の一員としての日本をさせるための国民道徳の強化につとめた。(309頁)

この戊申詔書をもとに展開されたのが地方改良運動でした。

 第2次桂内閣は、1908(明治41)年に戊申詔書を発布し、また内務省を中心に地方改良運動を推進した。この運動は、江戸時代以来の村落共同体である旧町村を、市制・町村制による行政単位としての町村に再編成し、その租税負担力の増加をはかるものであった。このために、旧村落の財産が町村に吸収され、旧村落の青年会も町村ごとの青年会に再編されて、内務省や文部省とのつながりを強めた。町村ごとの在郷軍人会も、1910(明治43)年の帝国在郷軍人会の設立により、その分会となった。(298頁)太字は引用者による

戊申詔書を発布した際の内閣は第2次桂内閣です。地方改良運動の中心となったのは、農商務省ではなく内務省でした。したがって、誤りです。

ウとオは引用の通りです。

エについては「教科書」に記載がありませんでした。「用語集」には「神社合祀政策」の項目があります(「用語集」264頁R)。


◎問8 下線部fに関連して、この時期に東京都知事に就任して、老人医療の無料化などの社会福祉政策に取り組んだ人物

ア 青島幸男
イ 東龍太郎
ウ 黒田了一
エ 鈴木俊一
オ 美濃部亮吉

下線部fは「1960年代後半から70年代初頭にかけては、大都市圏で革新自治体が次々に成立」となっています。

日本社会党と日本共産党との革新統一候補が大都市を中心とする地方自治体の首長選挙であいついで当選し、総面積では半分近くが革新自治体のもとで暮らしているという時期がありました。とくに「TOKYO」の頭文字が大都市の革新自治体でした(T東京 O大阪 K京都 Y横浜 O沖縄)。

こうした革新自治体が広がった背景には、安保条約をめぐる自民党の強権的な政治への批判が社共両党への支持につながったのと、高度経済成長のひずみによって公害などの社会問題が発生したことがありました。

 高度成長のひずみに悩む中で、大都市圏では革新自治体が成立した。1967(昭和42)年に美濃部亮吉が東京都知事に当選し、1970年代前半の地方選挙では日本社会党・日本共産党などの革新勢力が支援する候補の勝利があいつぎ、東京・京都・大阪の知事や横浜などの大都市の市長の多くが革新系で占められるようになった(革新首長)。革新自治体は、公害の規制や老人医療の無料化など、福祉政策で成果を上げた。(401頁)太字は引用者による

正解は、オの美濃部亮吉です。戦前は労農派に属し、人民戦線事件で検挙されます。戦後、革新都政を実現し、退任後は参議院議員となりました。

青島幸男はタレント出身の都知事。東龍太郎は美濃部の前の都知事で東京オリンピックの際の都知事。鈴木俊一は自民党系の相乗り都知事で90年代初頭まで。金権腐敗で自民党の支持率が急落した1993(平成5)年に青島が参議院議員(第二院クラブ)から東京都知事に転身します。「都市博中止」を公約に掲げて、実際に中止しますが、「敬老パス」の廃止などの政策転換が批判を受け二期目には挑戦せず退任します。次の都知事は石原慎太郎が長く務めました。

黒田了一は革新系の大阪府知事です。他の革新首長では京都府知事の蜷川虎三が長期にわたって革新府政を実現しました。

革新自治体では福祉政策が進んだ一方で、財政的な困難も招き、90年代以降の新自由主義と受益者負担主義の蔓延のなか、これらの福祉政策は大幅に削減、または廃止されてしまいました。「公助」よりも「自助・共助」だとする現首相(まもなく前首相)の主張もこれまでの福祉政策を否定するものでした。


大問Ⅴは以上です。◎3〇5でした。やや細かい問題が多かったでしょうか。

2021人科編もこれで終了です。全42問の内訳は◎21〇18△2×1でした。

「教科書」本文のみで解ける◎は、21/42でちょうど50%、脚注・史料(資料)なども含めた◎〇では、39/42で92.8%でした。

〇評価の問題が多かった一方で、△×はほとんどなく、「教科書」中心に出題されたといえるでしょう。

昨年は◎〇で83%でしたので、やや「教科書」よりにシフトしたといえるでしょう。

次回のシリーズは、2021社会科学部です。

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